2017年3月3日金曜日

446) 3月度関西出張のお知らせ

整心療法研究所(埼玉県上尾市・大阪市・和歌山市)のブログへようこそ。
従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい視点から人間の精神にアプローチする方法を研究・実践中です。
今日は≪3月度関西出張のお知らせ≫について書きます。
* 7日(火)~9日(木) 大阪市・和歌山市
面談・精神分析活用講座・≪鏡の段階講座≫他
フリートーク(テーマ「生活の顔」と「人生の顔」
* 6日(月)・10日(金) 埼玉県大宮市

詳しくは、シニィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/ 
Twitter https://twitter.com/rakuhomanamiを参照、連絡ください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
≪気づいていないから症状を出す≫

自分が何を言いたいのか解らないから、症状として表現している。
その症状の意味に自ら気づいたとき、症状は結果的に消える。
なぜなら、症状が気付きという言葉に置き換わったから。
不言実行の人は言葉で言う代わりに行動で表現している。
病気やけがは自らの身体を使っての表現。
人はその環境の中で一番表現しやすい方法を選択している。
環境が変われば表現方法も変わる可能性がある。
その表現に振り回されず、みること。
そうすれば症状の意味がみえてくる。

自ら気づくことが大事。
その気づきを、気づかないうちに自ら気づくように、そっと一滴を作用させるのが整心療法家。 

2017年2月17日金曜日

444) 心を豊かにする方法

整心療法研究所(埼玉県上尾市・大阪市・和歌山市)のブログへようこそ。
従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい視点から人間の精神にアプローチする方法を研究中です。
今日は≪心を豊かにする方法≫について書きます。
心が豊かになるとは、自分と対象がナルシシズムの関係の中にいること。
このように表現できると考えます。
自分と対象の間に何も介在しないこと。
自分にとって対象が自分の思う通りになる対象であること。
つまり、対象が自分を否定しないこと。
対象が自分の理想を映す鏡の役割をしてくれる関係のことです。
対象が言葉を持っていなければ、自分を否定することはありません。
動物を飼育する人が増えているのも、その現れだといえるかもしれません。
自分を必要とし、可愛がればそれに応えてくれる 存在。
そして何より「ダメ」と言わない存在。
自然も然り。
ただ存在しているだけ。
だから心が癒されると感じるのでしょう。
心が疲れたら、自然の中に身を置いてみましょう。
そして、言葉が恋しくなったら肯定してくれる人に遇いに行きましょう。
そうすれば、心が豊かになることでしょう。 

2017年1月26日木曜日

443) うつは「鏡の段階」への退行状態

整心科学研究所(埼玉県上尾市・大阪市・和歌山市)のブログへようこそ。
従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい視点から人間の精神にアプローチする方法を研究中です。
今日は≪うつ≫について書きます。
うつは心の風邪ひきだと表現され、だれでも陥る可能性があるといわれます。
日々の生活の中での喪失体験が引き金となってうつ状態になることが多いようです。
ここでは、うつはラカンがいう「鏡の段階」へ退行した状態との観点から考えてみます。
『自我は他者のもとで構成される』
簡単にいうと、鏡に映った像を見て、「これが私だ」と知りそれを引き受ける体験。
うつという状態は、この段階へ退行し、再度「これが私だ」と自己規定しようとする試みだと捉えます。
そこへ退行するきっかけはそれまで自分を映していた鏡が無くなった時。
例えば以下のような問いに遭遇したときです。 
「あなたは何者ですか?」→「私は何者だ?」
「あなたは何をしたいですか?」→「私は何をしたいんだ?」
「あなたはどう思う?」→「私はどう思っているのか?」などなど
それらに対して「分からない」「知らない」「考えても仕方ない」なども一つの答えです。
つまり、「答えの内容ではなく、何も言葉を発せなくなった時」その時が問題。
その結果動けなくなる。
このように考えると動くための道筋がみえてきます。
鏡に映し、それを自分だと言える体験をすればいい。
ただその鏡には一つ条件があります。
それは、その人が安心だと感じる鏡であること。
その鏡が見つかれば大丈夫。
必ず動き始める時が来ます。 

2017年1月7日土曜日

442)心を癒す方法

整心科学研究所(埼玉県上尾市・大阪市・和歌山市)のブログへようこそ。
従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい視点から人間の精神にアプローチする方法を研究中です。
今日は≪心を癒す方法≫について書きます。
心が疲れ、それが持続し、その人の限界を超えた時。
そんな時、わたしたちの体は自分を守るための機能(自己治癒力)を発動するといわれます。
その表現方法は人それぞれ、同じ人でもその状況により 変化します。
あらゆる手段を使って元の状態へと戻そうとするようです。
それが表面的に不都合なことでも、その人にとってその時その方法が最善だった。
その視点からみる時、「人は皆、自分を癒す方法を知っている」と考えられます。
では、どのようにすればよいのか。
結論からいうと、今のところ具体的な方法は解りません。
ただ、ある何かがきっかけとなって自ら癒す方法に気づき、治癒に至ることもまれではないようです。
ある何かとは、音や匂いや味、ある状況、ある言葉だったりする。
不思議なことに、本人もなぜだか解らないと言います。
それはおそらく、日々の喧噪のなかで隠されてしまっているのではないでしょうか。
それがある何かをきっかけに湧き上がってくる。
もしそれを整心療法家が意図的に用意できるとしたら、今よりもっと気楽に癒すことができるのではないか。
そのように考え、研究、トレーニングをしています。