2012年8月30日木曜日

267)居場所―ただ聴いて欲しい

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「居場所―ただ聴いて欲しい」 について書きたいと思います。
日々、クライアントと向き合っていますが、
その中で、クライアントからよく聞く言葉があります。
今日は、その一つを紹介します。
それが「ただ聴いて欲しい」です。
 
考えてみれば、
あちこちで「評価される」ことが多いのでしょう。
学校、塾はもちろんのこと、習い事、職場でも
常にだれかと比べられ、評価されることが当たり前になっています。
競争社会にどっぷり浸かっているのですから、当然かもしれません。
せめて、家の中でだけは・・・・
と、思うけれど、それも叶わない。
家の中も外も同じ、常に人からの評価が待っている。

そんなとき、
だれかが、黙って聴いてくれる。
評価することもなく
良い悪い、正誤も言わず、ダメとも言わず
ただただ、「そうか、そうか、そうなんだ」と聴いてくれる。
そんな人が居てほしい
そんな場所が欲しい。
このように、だれもが心のどこかで叫んでいるのではないでしょうか。

あるクライアントが言いました。
≪かつてこんなに長い時間、自分が喋りっぱなしだったことはなかった。いつも誰かに邪魔されたり、さえぎられたりして、
最後まで
聴いてもらったことはなかった。≫
また、
一年半の間、毎週身の上話を涙と共に語り続けた人もいました。
それらの大半を語り終えた時、
その女性を見てびっくりしました。
『こんなにも色が白くて、綺麗な人だったのか』と。
それまでは、背中を丸めてうつむき、暗い顔をしていました。
それが
まるで別人のようになったのです。
正直、驚きと共に感動しました。
人は、心の中のヘドロを吐き出した時、こんなにも変容し、輝くものであるのだと!

フランスの精神分析医である、ジャック・ラカンは言いました。
【身体は文字が刻まれた辞書のようなものである。】
まさしく、彼女は
暗く、重く、苦しく、筆舌しがたい過去を身体に刻み込んでいたのです。
それが『語る=言葉にする』ことによって、
身体に刻まれた文字(言語)が剥がれ落ちたのでしょう。

だれもが、その人固有の文字を刻んでいると考え、
それを分析家に語ることで、自らが明らかにし、知っていく方法が精神分析です。
そして、必要とあらば、
その言語を、自分の好きなように書き換えることも可能です。

前述の彼女は
「苦行僧」→「修行僧」→「普通人」へと書き換えました。
ただただ、語り続けることで気付き、書き換えたのです。
このように、
誰かに語り続けたい、聴いてもらいたい、
と、大半の人が叫んでいると思うのです。

「あるがままの自分」が裁かれることもなく、批判されることなく、
指導されることなく、他者に受け入れられること。
それが癒しであり、自己を知ることであり、変容へと繋がってゆくことだと思うのです。

話しても仕方がない。
どうせ言っても・・・・・
と、思ってあきらめていませんか。
聴いてくれる人は必ずいます。

シニフィアン研究所のHPも参照ください。http://signifiant-lab.com/
オールOK子育て法http://signifiant-lab.com/raise/
思春期の悩みhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
恋愛と結婚ー仕事と生きがいhttp://signifiant-lab.com/woman/

2012年8月28日火曜日

266)作家・浅田次郎に聞く“原発と日本人”ー古舘伊知郎との対談(報道ステーション)

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「作家・浅田次郎に聞く“原発と日本人”ー古舘伊知郎との対談(報道ステーション)」 について書きたいと思います。    http://www.dailymotion.com/video/xt3f0x_yy-yyyyyyy-yyyyyy_news参照)
内容についてではなく、
浅田次郎氏が語った言葉の中で、印象に残った言語を取り上げたいと思います。
その言語(言葉)とは
意志」「決断」「情緒的なものの入る隙間はない
この3つです。
対談の中の言葉を一部引用すると
1)意志
 我々の父の世代は、「この厳しい現実は私たちの現実だ。これを子どもたちに申し送ってはならない。」という強い意志で復興してきた。

2)決断
 日本の決断を世界は注目している
 日本の決断は人類の歴史を左右する決断となる

3)情緒的なものの入る隙間はない
 過去と現在と未来、これを正しく見つめなければならない。
 そこに「子どもは可愛い」とか「子どもに罪はない」というような情緒的なものの入る隙間はない

3)の 情緒的なもの=折に触れて起こる様々な感情的なもの=感情的
と読み替えてみると、その対義語として、「理性的」が思い浮かびます。
とするなら、
情緒的なものが入る隙間はない=理性的
といえるでしょう。

そこで3つを整理すると
「意志」「決断」「理性」となります。
この3つは、何かを成し遂げるために必須のものではないでしょうか。
それらに「覚悟」を加えて、
人が生きていく上で必須のものだと言いたいのです。
向き合わなければならない事柄に直面した時
≪理性的に考え、決断をし、強い意志力をもって向き合う覚悟を持つこと≫
これはまた、父の機能に必須のものでもあると思います。

浅田次郎氏と古館伊知郎氏の対談を聞いて
人が生きる上で何が大切で必要であるかを再認識した気がしました。

父の機能についてはこちらを参照ください。http://signifiant-lab.com/woman/#151
オールOK子育て法http://signifiant-lab.com/raise/#29
シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/

2012年8月26日日曜日

265)聞く=相手の言葉を受け入れる

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「聞く=相手の言葉を受け入れる」 について書きたいと思います。
『私の話をちっとも聞いてくれない』
かつて、母に対してこのように思ってました。
当時を、振り返ってみました。

いつも、母は、
母が思い描く「理想の子ども」になることを私に求めていました。
「お前のためを思って言ってるんだ」
「こんなに時間も、エネルギーもお金も注いでいるんだ」
「お前のために、どんなに自分の人生を犠牲にしてきたことか」
と、常に語っていました。
その結果
「田舎の優等生」ができあがりました。
自慢の娘の完成です。

この世界には『聞く(聴く)』は皆無でした。
会話はなく、一方的な押しつけと伝達しかありません。
話し始めると口をはさむことなど不可能。
黙って、終わるのを待つのみ。
最後は
「解った?」-「はい」
これで終了。

これでは、聞くのみで、聞いてもらう(語る)体験はできません。
聞いてもらうこと=語ること=自分を受け入れてもらうことではないでしょうか。

私が学習したことは
「沈黙」と「忍耐」と「はいと答えること」
ですから、素直なフリをすることは得意です。

こんな私が、母親になったのです。
ある時、娘から言われました。
『お母さん、私の話を聞いて!お母さんは、ちっとも私の話を聞いてない。自分のことしか言わない』と。
愕然としました。
私が子ども時代に
母に対して心の中で叫んでいた言葉でした。
それと全く同じ言葉を、娘から言われたのです。

精神分析を受け、先生から、「人は学んだことしかできない」と言われていました。
その時は、
「そりゃそうでしょう。知らないことはできなくて当たり前」と思ってました。
そのことが、このような形で納得することになるとは・・・

自分が母からしてもらっていないと(ここでは、聞いてもらう体験)は、
どんなに自分でしているつもりでも、できていない。
相手(子ども)は「聞いてもらっている」とは思えない聞き方しかできないのだと、痛感しました。

子どもは、様々な言動(=親にとって困った事柄)で、親の気づいていない部分を教えてくれます。
子どもは何を訴えているのか?
何を教えてくれているのか?
これらを
精神分析では、対話を通してひも解いていきます。

シニフィアン研究所のHPを参照ください。http://signifiant-lab.com/
思春期の悩みhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
オールOK子育て法http://signifiant-lab.com/raise/
不登校の子供の母よりhttp://signifiant-lab.com/escape/

2012年8月23日木曜日

264)子どもに納得できる選択を与えよう

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「子どもに納得できる選択を与えよう」 について書きたいと思います。
「選択」という言葉にどのようなイメージを持たれているでしょうか。辞書には
「選ぶこと。適当なものをえらびだすこと。良いものをとり、悪いものを捨てること。」
とありますが、
納得のできる選択がどれほどできているでしょうか。
そのためには、選択する前提として、
二つ以上の選べるものが、等価なものとしてあることが必要だと思うのです。

何を言いたいかというと選ぶ人の心のままに(自由に)選べることが大切だということです。
母子関係で考えてみましょう。
以前、こんな光景に出くわしたことがあります。

小学生の子どもがお母さんに言っています。
どうやら子どもは習い事へ行きたくないようです。
そこでの母子のやり取りです。

子ども「今日は行きたくない、休みたい」
母  「じゃあ、この間欲しいと言ってたの買わないよ、それでもいいの?」
子ども「それは嫌だ、買って欲しい」
母  「だったら、ちゃんと言うこと聞かないとだめでしょ」
子ども「そんなの嫌だあ、でも行きたくない」
母  「じゃあ好きにしなさい、自分でよく考えなさい」
     (しばらくの沈黙)
子ども「じゃあ 行く・・・」

どうでしょうか。
「行く」と「行かない」の選択肢の間で、子どもは確かに「行く」を選択しました。
果たして子どもは納得して、行くことを選択したと言えるでしょうか。
「行く」と「行かない」が
子どもにとって、等価なものとして目の前にあったでしょうか。
「行く」=欲しいものを買ってもらえる
「行かない」=欲しいものを買ってもらえない
という、別の選択へと置き換えられ、そこでの選択を迫られている、と言えないでしょうか。
そうすると、
「行く」か「行かないか」の選択をしているようで、
まったく別の選択
「買ってもらえる」か「買ってもらえない」にすり替えられてしまっている。
それも子どもにとって、圧倒的に優劣がついてしまう選択しかありません。
これは果たして(納得できる)「選択」と言えるでしょうか。

このように、私たち親の思いのままに
子どもの選択権を他のものにすり替えてしまっている。
あるいは、
親の思いに沿うように、子どもをコントロールしてしまってる。
このように考えられるのではないでしょうか。

ですから、
子どもは自分の意志で選択したようで、納得できない、
喜んで自分の選択を受け入れられないのではないでしょうか。
その上に、まだオマケがつく場合があります。
「自分で決めたことでしょう、お母さんは行けとは言ってないよ」と。

これはたぶん、特別な親子ではないと思います。
意識する、しないに関わらず、大半の親がしていることでは?
このような環境の中で、子どもは育っていくのです。
そんな子どもに納得のできる、自由な選択は無い、といえるでしょう。
それを、もう一度リセットし、納得のできる選択ができる体験が必要です。
なぜなら、だれれかにコントロールされた「選択」は
必ず、後にストレスとなり、あるキッカケによって噴出する可能性が高いからです。
それが、たとえば青少年の非行や問題行動だと思います。
不登校や引きこもり、暴力、いじめ、虐待、殺人などではないでしょうか。

リセットする方法が「オールOK」子育て法(心育て直し法)です。
詳しくは精神分析的子育て法「オールOK」を参照ください。http://signifiant-lab.com/raise/
お問い合わせはこちら(シニフィアン研究所)です。http://signifiant-lab.com/

264)子どもに納得できる選択を与えよう

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「子どもに納得できる選択を与えよう」 について書きたいと思います。
「選択」という言葉にどのようなイメージを持たれているでしょうか。辞書には
「選ぶこと。適当なものをえらびだすこと。良いものをとり、悪いものを捨てること。」
とありますが、
納得のできる選択がどれほどできているでしょうか。
そのためには、選択する前提として、
二つ以上の選べるものが、等価なものとしてあることが必要だと思うのです。

何を言いたいかというと選ぶ人の心のままに(自由に)選べることが大切だということです。
母子関係で考えてみましょう。
以前、こんな光景に出くわしたことがあります。

小学生の子どもがお母さんに言っています。
どうやら子どもは習い事へ行きたくないようです。
そこでの母子のやり取りです。

子ども「今日は行きたくない、休みたい」
母  「じゃあ、この間欲しいと言ってたの買わないよ、それでもいいの?」
子ども「それは嫌だ、買って欲しい」
母  「だったら、ちゃんと言うこと聞かないとだめでしょ」
子ども「そんなの嫌だあ、でも行きたくない」
母  「じゃあ好きにしなさい、自分でよく考えなさい」
     (しばらくの沈黙)
子ども「じゃあ 行く・・・」

どうでしょうか。
「行く」と「行かない」の選択肢の間で、子どもは確かに「行く」を選択しました。
果たして子どもは納得して、行くことを選択したと言えるでしょうか。
「行く」と「行かない」が
子どもにとって、等価なものとして目の前にあったでしょうか。
「行く」=欲しいものを買ってもらえる
「行かない」=欲しいものを買ってもらえない
という、別の選択へと置き換えられ、そこでの選択を迫られている、と言えないでしょうか。
そうすると、
「行く」か「行かないか」の選択をしているようで、
まったく別の選択
「買ってもらえる」か「買ってもらえない」にすり替えられてしまっている。
それも子どもにとって、圧倒的に優劣がついてしまう選択しかありません。
これは果たして(納得できる)「選択」と言えるでしょうか。

このように、私たち親の思いのままに
子どもの選択権を他のものにすり替えてしまっている。
あるいは、
親の思いに沿うように、子どもをコントロールしてしまってる。
このように考えられるのではないでしょうか。

ですから、
子どもは自分の意志で選択したようで、納得できない、
喜んで自分の選択を受け入れられないのではないでしょうか。
その上に、まだオマケがつく場合があります。
「自分で決めたことでしょう、お母さんは行けとは言ってないよ」と。

これはたぶん、特別な親子ではないと思います。
意識する、しないに関わらず、大半の親がしていることでは?
このような環境の中で、子どもは育っていくのです。
そんな子どもに納得のできる、自由な選択は無い、といえるでしょう。
それを、もう一度リセットし、納得のできる選択ができる体験が必要です。
なぜなら、だれれかにコントロールされた「選択」は
必ず、後にストレスとなり、あるキッカケによって噴出する可能性が高いからです。
それが、たとえば青少年の非行や問題行動だと思います。
不登校や引きこもり、暴力、いじめ、虐待、殺人などではないでしょうか。

リセットする方法が「オールOK」子育て法(心育て直し法)です。
詳しくは精神分析的子育て法「オールOK」を参照ください。http://signifiant-lab.com/raise/
お問い合わせはこちら(シニフィアン研究所)です。http://signifiant-lab.com/

2012年8月19日日曜日

263)吉田沙保里・伊調千春の言葉

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「吉田沙保里・伊調千春の言葉」 について書きたいと思います。

レスリング女子55キロ級でオリンピック三連覇を果たした吉田沙保里が
テレビで何気なく言った言葉です。
『吉田には勝てないだろうな、と思った瞬間からもう負けている』(TVでの言葉だったことしか覚えていません)

これは、そのまま、すべての人に当てはまることだと思いました。

「気後れ」という言葉があります。
辞書には「相手の勢いやその場の雰囲気などに押されて、心がひるむこと。気おじ。」(大辞泉)と書いてあります。
まさしく、
吉田選手が言った言葉は、このことだと思います。
気後れすると、その時点で相手から後れている。
その気持ちが、もうすでに負ける方向へと向かっている。

相撲の世界でも、「引いたら負け」と言われます。
勝つ力士は、やっぱり前へ前へと攻めてゆくとのことです。

つまり、『勝つ』と決めること=言語化すること
「勝つ」と決めたとき(宣言したとき)から、勝利する道が拓けるのだと思います。

そして、
わが人生に勝利すること=自分に勝つこと
それはまず、決めること=言語化すること
次に、
それに向かって前へ前へと歩み続けることでしょう。
周りからの承認や賞賛のためにではなく
自らが決めたことに向かって前進し続けること。
このように考えた時、
まったく人生そのもの(生きるということ)だと感じたのです。

オリンピックを見て、感動するのは
メダルを獲ったからだけでなく、
選手たちの常に目標に向かって前進する姿に共感するからではないでしょうか?
「自分もこのような生き方をしたい」と、感じるからではないでしょうか?


伊調千春さんも語っています。
『「銀でもうれしくないです」とアテネのときに言って、そのことでバッシングも受けたんですけど、でも、あそこで「銀でよかった」と言っていれば、今、自分はここにいないと思うんですよ。だから、「負けて悔しい」という思いがあるときは、それ以上、また次へ行けるんですんね。「それでよかった」と満足してしまえば、もうそれ以上は行けないんですよ。自分たちの夢はやはり金メダルだし、格闘技というのは…ほかのスポーツもそうですけど、銀メダルは負けて取るメダルなんですよ。例えば陸上とか長距離だったら、銀メダルもうれしいかもしれないですけど、格闘技の銀メダルは負けて取るメダルだし、うれしくないんですね。だから、叶えたいです。オリンピックは、その夢を叶える場所だと思っています。』

http://www.oaj.jp/interview/11_wrestling4/005.html より引用)


まず目標を決めること。
決めるためには、自分の欲望を知ることが大切になります。
精神分析に出会って、自分が何を求めているのかを知った人がたくさんいます。
興味を持たれた方は、シニフィアン研究所のHP
http://signifiant-lab.com/を参照ください。
思春期には特に大きな関心事となります。
思春期の悩みはこちらです。http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/

2012年8月16日木曜日

262)ナルシシズムの原点=鏡よ鏡『白雪姫』

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「ナルシシズムの原点」 について書きたいと思います。

白雪姫』はご存知でしょう。ストーリーはこちらを参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%9B%AA%E5%A7%AB


有名な場面の一つ、白雪姫の義母である王妃の言葉
「鏡よ鏡、世界中で一番美しのは誰?」
これはナルシシズムの原点だともいわれます。

魔法の鏡が
「それは王妃です」
と答え続けていたなら、
王妃は白雪姫を殺さなかったことでしょう。
魔法の鏡が、
「それは白雪姫です」
と、答えたから、
自分が世界で一番美しいと言われたいとの欲望を持ち、
白雪姫に殺意を持ったのでしょう。

これは、童話です。
でも、人間の心の世界を表現した素晴らしい童話です。
誰の心の奥底にある欲望だともいえるでしょう。
これを、子育てに置き換えて考えてみましょう。
子どもが最初の鏡とするのは、お母さんです。
子どもはいつもお母さんに問いかけているのです。
≪お母さん、世界で一番可愛い(好きな)
のは誰?≫と。
その時
間髪入れずに答えてあげましょう。
≪それは、もちろん〇〇ちゃんよ≫と。
そうすれば、
子どもはニコッと微笑んで、
お母さんに愛されていると感じ、安心してすくすく成長することでしょう。

自分の理想の子どもになってもらいたくて、
兄弟姉妹や他のだれかと比べてはいませんか?
誉めたら調子に乗るからと、わざと意地悪していませんか?
うるさい子だと無視していませんか?

子どもにとっての鏡は、お母さんなのです。
だから何度も、うるさいくらいに確認したくなるのです。


「鏡よ鏡、世界で一番可愛い(好きな)のはだれ?」と。
もし、
「それはもちろん、〇〇ちゃんよ」
と言ってもらえなかったなら
白雪姫の義母である王妃のように、殺意を抱くかもしれません。
無視されたなら、
「誰でもよかった」と言って
たまたま通りかかった人たちに殺意をばらまくかもしれません。

人は、鏡に問いかけ、鏡によって答えられた姿を自分だと思い込む構造があります。
それは最初期において、自我を作り上げる上でとっても大切なことです。
その時期に、愛を刻印するか、憎しみ(殺意)を刻印するかは
子どもの目の前に居るお母さんに係っているといっても過言ではないでしょう。
この意味で
お母さんは子どもの運命を握っていると言えるのではないでしょうか?

それほどに、
子どもにとって、お母さんは世界で一番の愛の対象であり、
子どもも、母にとっての世界で一番の愛の対象になりたいと切望しているのです。


子育て教室では、オールOK子育て法http://signifiant-lab.com/raise/を中心に
子どもへの具体的な対応の仕方を話し合っています。
サークル、地域の子育てクラブなどへも出張します。
詳しくはこちらをご覧ください。http://signifiant-lab.com/#10
ブログ(197)自己愛(ナルシシズム)―エロス的交流)も参照ください。

2012年8月15日水曜日

261)調子に乗ることの大切さ

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。

           
今日は、「調子に乗ることの大切さ」 について書きたいと思います。

夏休みも後半、お盆休みに家族で田舎へ帰省したのでしょう。
小学生低学年の子ども二人が、スーパーではしゃいでいました。
おばあちゃんにお菓子でも買ってもらったのか、
「ねえねえ、これも買っていい?」と子ども
「ああ、いいよ、好きなの買ってあげるから」とおばあちゃん。
そこで、お母さんとおぼしき女性が、ひと言
「調子に乗るんじゃないよ!」

日常、よく見かける光景です。
この光景を見て、残念だなあと思いました。

親側からすれば、甘やかせたら後々とんでもないことになる、
との、親の気持ちかもしれません。
ただ、いつもこのような環境にいると
「調子に乗れない人」になるのではないでしょうか?

人生には、大きな波が何度かやってくると言われます。
その波にうまく乗れるかどうかで、
後の人生が、大きく違ってくることでしょう。

やってきた波を掴み、うまく乗れること。
それは、とっても大切なことの一つです。
まさしく「調子に乗る」タイミングを知っていること。
つまり、自分をうまく波に乗せることができることです。
「それ、今だ!」
と、乗り切れるか、尻込みするかで大きく違ってきます。
うまく、波を掴み、乗れる人。
それは常日頃から、調子に乗ることができる人です。

子どもが嬉しくて、調子に乗っていたら
つまずくことを心配して、調子に乗るなというよりも
大いに、調子に乗せてあげましょう。
そうすれば、波に乗る乗り方、バランスのとり方は
自分の身をもって、体験し、身に付けることでしょう。

お調子者、大いに結構ではありませんか?
調子の良い時には、
大いに、調子に乗せてあげましょう。
そうすれば、
必ず、人生の大きな波をうまく乗り切っていくことでしょう。


子どもを、自分を調子にうまく乗せられますか?
自分を上手に調子に乗せることができますか?
大いに、調子に乗せてみましょう。
そうすれば、やがて
人の力で乗せてもらうのではなく、
自分の力で上手に乗ることができるようになるでしょう。


うまく調子に乗れない方は
シニフィアン研究所まで、ご連絡ください。http://signifiant-lab.com/
なぜ乗れないのか、乗せるにはどうしたらよいか、
相談教室、知るための講座も開催しています。
くわしくは、こちらです。http://signifiant-lab.com/08)09)

2012年8月14日火曜日

260)スポーツと攻撃心

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「スポーツと攻撃心」 について書きたいと思います。
ロンドンオリンピックも17日間の幕を閉じました。
日本選手たちの連日の活躍と世界中のアスリートたちの姿に、日本中が湧き立ったことと思います。
一方、甲子園では高校球児たちの熱闘が繰り広げられています。

どうしてこれほど、スポーツに興じるのでしょうか?
スポーツの魅力とは何でしょうか?
精神分析的観点から考えたいと思います。

結論からいうと
スポーツは、誰にもあるとされる「攻撃心」の合法的な発散方法だといえるのではないでしょうか。

そもそも、なぜ攻撃心が生じるのか、から考える必要がありますが、
それはともかく、自らの内に溜まり続ける攻撃心を留めておくことは非常にストレスとなります。
ある閾値に達したら、あふれ出るもののようです。
それらは「衝動」とも呼べるものでしょう。

これらの攻撃心(衝動)を、うまく水路付けし、放出する必要があります。
でないと、心が壊れてしまいかねないからです。
また、対人関係をスムーズにするためにも、必須となります。
その放出手段の一つが「スポーツ」だといえるのです。

解りやすくいうと
・人を蹴飛ばしたい衝動が強い時は、サッカーやキックボクシングなど
・人を殴りたい、叩きたい衝動が強い時は、ボクシングや剣道、野球、テニス、ゴルフなど
・人に抱きつきたい、からみたい時は、ラグビーやレスリングや相撲など
このように考えてみると、
スポーツは、様々な攻撃心を合法的に放出させる、素晴らしい手段といえるのではないでしょうか。
ある限定された枠組みの中で発散すれば、皆から賞賛されるトップアスリートになれるかもしれないし、
時として、英雄にもなれるでしょう。
ですから、
スポーツをした後は、殆どの人が
「あー気持ち良かった、スッキリした」と語ります。

太古から人は、無意識にこれらの事を知っていたから
戦いの刃をスポーツの道具に換えて、競い合ったのではないでしょうか。
スポーツは、自らの内なる攻撃心の放出と、
周りからの承認と賞賛を得られる、一挙両得の方法だといえるでしょう。

子どもがやんちゃで困ると怒るのではなく、
子どものストレスが何であるのかを知り、
そのストレスの上手な発散方法をアドバイスすることが有用だと思います。
自ら(子ども)の内にある攻撃心に気付くこと
どのような衝動があるのかを知ること
この二つが必要です。

体を使って、一つずつ試してみる方法もありますが、
的確に知る方法があります。
それは「自分の攻撃心(衝動)を知る」精神分析という方法です。

興味をもたれた方は
シニフィアン研究所のHPをご覧下さい。http://signifiant-lab.com/

2012年8月13日月曜日

259)やさしい精神分析講座について

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。

           
今日は、「やさしい精神分析講座」 について書きたいと思います。

シニフィアン研究所では、現在、
やさしい精神分析講座」と「インテグレーター養成講座」を開講しています。
先日から、「やさしい精神分析講座」に対しての問い合わせが続きました。
シニフィアン研究所のホームページで紹介をしておりますが、
一部、分かりにくい部分があるとのことですので、
補足の説明と案内をしたいと思います。

・テキストは1巻~6巻まであり
・テキスト1巻は、5単元で終了(全講座で30単元)
・1単元2時間(マンツーマンの場合は1時間)
・2人以上集まれば、出張も可能(要交通費)
・スカイプでのレクチャーも可能(スカイプについてはこちらを参照ください)

「やさしい精神分析講座」は、精神分析の理論を解りやすく解説していきますので、
心理学や精神分析に興味があるけど、難しいと感じている方におすすめです。
日頃の疑問や質問も交えながら、できるだけ解りやすく楽しくを心掛けています。
この講座を通して、自分を知るキッカケになったとおっしゃる方が多いようです。


「インテグレーター養成講座」は、すぐ実践に活かせる理論が学べる講座です。
将来、精神分析家になりたいと考えている方はもちろん、
もっと専門的に精神構造を知りたいという方に、おすすめです。
最近は特に、いじめや自殺などが大きな社会問題になっています。
そんな中、学校の先生はじめ、子どもに関わることが多い方やより多くの方に、
心を育てる方法と大切さを学び、即実践してもらいたいと思っています。
オールOK子育て法も含まれています。


その他詳しいことはこちらを参照ください。http://signifiant-lab.com/#11「インテグレーター養成講座」についてはこちらです。http://signifiant-lab.com/#13
ご不明な点、ご質問などありましたら、何でもお気軽にお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/#8

2012年8月12日日曜日

258)オールOK子育て法ー嬉しい報告

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。

           
今日は、「オールOK子育て法ー嬉しい報告」 について書きたいと思います。
あるクライアントからの嬉しい報告と、実践する事の大切さを紹介します。
詳細は、守秘義務と個人情報保護の観点から省きます。

子育ては「心育て」だと考えています。
子育てというと、赤ちゃんから思春期までの時期のような印象が強いかもいしれません。
働き始めたり、成人すると
「もう子育ての時期は終わった」
との言葉を耳にすることがあります。
しかし、
人は成長し続けるとの観点から「心育て」は永遠に続くと考えられます。
逆に言うと、
心を育てることは、人が成長することではないでしょうか。
生きている限り、人は成長し続ける存在であると思います。
前振りが長くなりましたが、ここで
「オールOK子育て法」を実践してきた
あるクライアント(Mさんと呼ぶ)からの、嬉しい報告を紹介したいと思います。
Mさんは息子さんの生活態度の乱れに悩んで来談されました。
思春期の息子さんは、
まさしくアイデンティティーの獲得という課題の前で、立ち止まっていました。
Mさんには、「オールOK」の対応をするように努力してもらいました。
それから4年
この度、やっと自分の生きる道を決め、巣立ったそうです。

Mさんの言葉です。
≪「オールOK」の話を聞いたときは、正直半信半疑でした。こんなことで本当に大丈夫なのか?
 逆に、よけいに我がまま気まま放題になって、益々怠けてしまうのではないか?と心配でした。
 何よりも、両親や家族からの理解が得られないと思いました。
 でも今、信じて実践して本当に良かったと思っています。
 何よりも、息子の明るい楽しそうな顔をみられて、「オールOK」の対応が間違ってなかったと実感しました。
 あのまま、息子を責め続けていたなら、息子も私も家族も崩壊していたと思います。
 
多くの方が、子どもさんや自分自身や家族の問題で、心を痛め、悩み苦しんでいます。
いじめはもちろんのこと、進学、就職、引きこもり、職場や社会へ出てからの対人関係につまずき、
誰もが心の癒しを求めています。
癒されるとは、どういうことでしょうか。「あるがままの自分」が裁かれることもなく、批判されることなく、指導されることなく、他者に受け入れられること、これが癒しなのです。
これが「オールOK子育て法」の基本であり、
シニフィアン研究所では、これ
をモットーに「オールOK」の態度で来談される方の語らいを聴いています。

シニフィアン研究所のHPはこちらです。http://signifiant-lab.com/
オールOK子育て法http://signifiant-lab.com/raise/
思春期の悩みhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/も参照ください。

2012年8月6日月曜日

257)滋賀県大津市立皇子山中学校いじめ自殺

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「月間精神分析の最新記事=滋賀県大津市立皇子山中学校いじめ自殺」を紹介したいと思います
滋賀県大津市立皇子山中学校いじめ自殺事件については、
文部科学省が「子ども安全対策支援室」を発足させたり、
いじめ問題に対する総合的な取り組み方針を8月中にも策定することを決めたりしているようですが、
それだけで「いじめ」対策といえるのでしょうか?
それも大切なひとつかもしれませんが、
何よりも大切なことは
「なぜ、いじめがおこるのか」
「なぜ、なくならないのか」
「どうすれば」なくなるのか」
これらの根本的な問題を知らずして、果たして対策と呼べるのでしょうか?

月間精神分析2012年9月号には
いじめる側にも、いじめられる側にも同じ問題がある。
それは「主体性のなさ」であると書いています。

いじめられる子は「やめて」の一言が言えない。
いじめる子は、自分の弱さを相手に吐き出す=投影と呼ぶ
お互いが、お互いの弱さを映し合っている姿だと言えます。

わが子がいじめたり、いじめられたりしない為にはどうしたら良いのか?
それについてはhttp://agency-inc.com/suicide/#1384を参照ください。

いじめられる子が、いじめる子に対して
「やめて!」と言えたなら
いじめはなくなると書いています。

いじめは、子どもの世界だけでなく
大人の世界にもあります。
子どもだけの問題として捉えるのではなく
一人ひとりの問題として向き合う姿勢が必要だと痛感します。

シニフィアン研究所では
いじめだけでなく、様々な問題の根本的にあるものを
精神分析と言う対話療法で向き合うお手伝いをしています。
自らが知りたいと思う限り、必ず糸口がつかめます。
詳しくはシニフィアン研究所HPをご覧下さい。
http://signifiant-lab.com/
思春期の悩みについてはhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
不登校についてはhttp://signifiant-lab.com/escape/
結婚についてはhttp://signifiant-lab.com/woman/を参照ください。

2012年8月4日土曜日

256)自傷、自虐行為の向こうにあるもの=罪責感

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「罪責感」について書きたいと思います
罪責感とは、精神分析では
監視する自我とみられる自我の間に生まれる緊張感のことを言います。
この緊張感は、親から禁止され、それを取り入れたところから生まれるとされています。
ちょっと難しいかもしれませんが、
「自責の念」とか、「罪意識」とか言われるものと考えていただけばよいと思います。

罪責感がないと法やルールを無視し、社会の中で犯罪を犯し、
罪責感が強すぎると、うつや自傷・自虐行為、自殺へと自分を追い込んでしまう可能性があります。
一方で罪責感は、道徳心や自制心などを培う基にもなると言われます。
適度な罪責感をもっていることは、
社会で生活する上で、必要なアイテムだと言えるでしょう。

例えば、
災害や事件、事故に遭遇した時
「何で自分だけ助かったのか」
「どうして何もできなかったのか」
「自分が身代わりになればよかった」
などと、自分を責めることでしょう。

助けられなかった自分、何もできなかった自分を責める気持ちです。
その自責の念にさいなまれて、たまらなくなる。
周りの人から「あなたのせいじゃないよ、仕方がなかったんだ」と言われても、
自分が自分を許せないのです。
これは、人として当然な反応かもしれません。
ところが、中には
この自責の念から開放されず、一歩も進めない人がいます。
「時(計)が止まってしまった」
と語ります。

また
「幸せになろうとすると、なぜか不幸がやってくる」
「私は、幸せになってはいけないんです」
などと語る人がいます。
この人たちも何らかの「罪責感」を持っている可能性があります。

これらの場合は、
なぜそんなにも自分を許せないのか?
なぜ時が止まったままなのか?
どのような「罪責感」を持っているのか?
それを知る必要があるでしょう。
それを知れば、その罪責感から開放され、
適切に書き換えることが可能です。

それには、精神分析が必要となるでしょう。
必要な時間をかけて、
悲しい(不幸な)自分と向き合うことで
悲しみ(不幸)は悲しい(不幸な)出来事として
その人の心の中で整理されることでしょう。
そうすれば、
ゆっくり前を向いて歩み始められるのです。

シニフィアン研究所では、精神分析という対話療法を中心に
自分と向き合うお手伝いをしています。
各種相談会、勉強会、養成講座も開催しています。
こちらをどうぞhttp://signifiant-lab.com/
7日(火)から9日(木)までは和歌山、大阪を中心に関西へ出張します。
詳しくはスケジュールをご覧下さい。http://signifiant-lab.com/#161

2012年8月2日木曜日

255)子どもが親に殺意を抱くとき

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「子どもが親に殺意を抱くとき」について書きたいと思います

母親の首を絞め殺害 18歳アルバイト少年逮捕「しつけが嫌だった」
産経新聞 8月1日(水)8時54分配信http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120801-00000536-san-soci

事件の詳細は不明ですが、母親を殺す子どもの心中はどうなっているのでしょう?

母親は子どもからすれば、最初の愛の対象だと言われています。
母親にとっても、わが子は(古い言い方かもしれませんが)、
お腹を痛めて産んだ子どもであり、可愛い愛の対象のはずです。
それが、どうしてこのような殺人にまで至るのでしょうか?

精神分析的視点から考えてみたいと思います。
「しつけ」と称して、子どもを自分の思うとおりに操ろうとする親の姿が浮かんできます。
「泣き止まないから」
「言うことを聞かないから」
という理由で、乳幼児を殺害した事件も多々ありました。
親の側からみれば「しつけ」でも
子どもの側からみれば「いじめや虐待」となる場合があります。

子どもは親と比べて、圧倒的な弱者の立場にあることが、問題を見えなくさせていると言われます。
親(大人)の世話を受けなければ、生きていけない存在であること
それは、家庭内(一種の閉鎖空間)で受けるのが基本であること
これら2つのことがあるために
より積算されていくのでしょう。
それらがある限界にまで達したとき、
それまでの積算された「親への怒り」が一気に放出されることになります。

ある少年が言いました。
「いつか、仕返しをしてやる、思い知らせてやる、と心に決めていました。」と。
その少年が、母親に暴力を振るい始めたのは
母の身長を1センチでも超えた時からでした。
それまでは、自分が悪いんだと言い聞かせ、
我慢に我慢を重ねてきたけれど、
やっぱり、どう考えても自分は悪くない。
そう思ったと言いました。
その時は
それまで育ててもらったとか、優しくされた一片の記憶などは消えうせていたそうです。
それは「仕返し」です。

事件の18歳少年は
「しつけが嫌だった」と母親の首を絞めています。
果たして「しつけ」だったのでしょうか?
少なくとも、適切な「しつけ」だったなら、殺すまでには至らなかったのではないでしょうか?
人は経験から学びます。
愛されることで、愛することを
憎まれることで、憎むことを学ぶのです。
首を絞めて殺害したという事実から考えると
そこから見えてくるのは
「窒息と抹殺」

少年はこの二つを学んでいたということになります。
「あの母親のしつけから逃れる方法は、永遠にこの世から抹殺するしかない。
そして、その手段は、窒息させること」
と考えたのではないでしょうか。
つまり、
少年は母からの「しつけ」を窒息するようなものと受け止めていた。
そのように考えられないでしょうか?

これら、青少年の事件を見聞きするたびに、
どの家庭でもありうることではないかと感じます。
自分の「つもり」と、受け取る側の「つもり」の相違はないでしょうか?
もしあるとするなら、その相違に気付いてますか?
このような問いかけを持ってみることも必要だと思うのです。

家族や友だちなど、何か気になることがあれば、
シニフィアン研究所までご連絡ください。
お手伝いできることがあります。http://signifiant-lab.com/
思春期の子どもさんをお持ちの方はこちらへhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
小さい子どもさんをお持ちの方はこちらへhttp://signifiant-lab.com/raise/どうそ。

2012年8月1日水曜日

255)8月の関西出張のお知らせ

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「8月の関西出張のお知らせ」について書きたいと思います

今日から8月です。
ロンドンオリンピックもメダルラッシュとなってきました。
深夜、早朝のライブでの応援で、睡眠不足ぎみの方も多いと思います。


さて、今月の関西出張のお知らせです。

7日(火)から9日(木)まで大阪と和歌山を中心に出張します。

6日(月)15:00~22:00 新宿にいます。
8日(水)10:00~12:00 インテグレーター養成講座」 途中参加もできます。
講座内容:「自己愛論Ⅳ 鏡像段階」です。
9日(木)10:00~12:00 フリートーク」 飛び入り歓迎です。
参加費:1.000円(お茶菓子付き)
テーマ≪自分の人生を生きる-愛あるコミュニケーション法≫です。
質問、疑問など自由に語りましょう。沢山の方の参加をお持ちしています。
18:00~22:00 大阪難波にいます。
10日(金)8:00~12:00 新宿にいます。


近隣の方はお気軽に連絡ください。
6日以降は携帯の方へ連絡お願いします。
詳しくはこちらです。http://signifiant-lab.com/#8


シニフィアン研究所では、
特に女性の方に、「心を育てることの大切さ」を一人でも多くの人に伝えたいと思っています。
その中心にあるのが「オールOK子育て法」です。
あなたや周りの人の生活に活用してみませんか?
是非、ご連絡ください。
詳しくはこちらを参照ください。http://signifiant-lab.com/raise/