2015年7月24日金曜日

418)欠如を作れば動く

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。
今日は、「欠如を作れば動く」 について書きます。
動かない状態にも色々あります。
例えば、
動かなければならないのに動けない。
動きたいのに動けない。
動きたくないから動かないetc
ここでは、
動きたいけど何をしたらよいか分からないから、結果的に動いていない場合を考えます。
つまり、動くためのエネルギーと意志はあるけど、その目標が定まらない場合です。
このような状態の場合、欠如を見つければ(自認)動きます。
それは、お腹がすいた→何か食べたい→食べるものを探す、と同じです。
お腹がすいた(欠如)を自認するから 、その欠如を埋めたいとの欲望を持ち、その結果動くという行動へと繋がります。
食欲と同じように考えると、人は欠如を自認すれば、必ず何らかの行動を起こす(行動しないことも含む)ことでしょう。
ここから、欠如を作れば動くというのです。 
大切なことは、動いていない状態をしっかり見極めることです。
見極めを間違わなければ対応の仕方もはっきり見えてきます。
そのために精神分析は有効だと考えます。
シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/
Twitterでは気づいたことをつぶやいています。 https://twitter.com/rakuhomanami
 

2015年7月6日月曜日

417) 7月度関西出張のお知らせ

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。
今日は、「7月度関西出張のお知らせ」です。
梅雨空の関東地方です。
今月も関西方面へ出張します。
近隣の方、関心のある方は、この機会を活用ください。
 ・6日(月) 19:00~21:00 大宮
・7日(火)~9日(木) 和歌山市
・9日(木)18:00~21:00 大阪市難波周辺
・フリートーク 9日(木)10:00~12:00
テーマ 『欠如と満足』
・8日(水)10:00~12:00   ≪人間講座-象徴界に生まれる 
人として生まれるとは、社会参入するとはどういうことなのか。そして社会、家庭内での男女の性差と役目は何か。女性化する男性が多いのはなぜか。それらを中心に考えます。 
・10日(金)7:30~10:30 大宮
詳細はメール、電話、Twitterで直接お問い合わせください。 
シニフィアン研究所 HP http://signifiant-lab.com/Twitterはこちらです https://twitter.com/rakuhomanami
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<信じて待つことは受容することと等価>

「信じて待つ」
これを実行するには時間とエネルギーが必須です。
時間と行動は相手に委ねられています。
相手に委ねられているとは、自分の判断や考えは通用しないということ。
相手が自発的に行動するまで口も手も出さないことを意味します。
逆にいうと、時間も行動も相手が握っている、それを受け容れること。
このように考えていくと、信じて待つことは相手を受容することと繋がっていきます。
逆にいうと、受容するとは強い信念(信じて待つ)と時間とエネルギーが必要な非常に能動的な行為だと考えられます。

2015年7月2日木曜日

416)しあわせの種を育てよう

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。
今日は、「しあわせの種を育てよう」 について書きます。
予測とは違ったことに直面したり、困ったことになった時、人は悩み苦しみます。
そのようなことは生きていく上で数えきれないほど多くあるでしょう。
またそれと同じく嬉しい、楽しいと感じることもあるはずです。
今ここで、自分にとって嬉しい、楽しい、好きだと感じることを「しあわせの種」とし、
自分にとって辛い、苦しい、嫌だと感じることを「不幸の種」と仮定してみます。

「あなたはどちらを育てていますか?」と質問されたらどうでしょう。
どちらを選ぶかは言うまでもないと思う人が多いかもしれません。
ところが、どうしても「不幸の種」を自ら求めている、
それも自ら好んで その種だけを選び取っているとまで言える人がいるのです。
その人が口癖のように言う言葉があります。
「どうして私だけ・・・」
「どうしてこんなに次から次へと悪いことが起こるのか」 etc

少し視点をずらしてみる(他者の視点)と「しあわせの種」 もあるのですが、それがまるで目に入らないようです。
他者がそれに気づいて言っても頑なに受け入れようとはしません。
このような時、ある一点(不幸の種)だけに焦点を合わせてしまっているといえるでしょう。
この状態は、かの有名な水に映る我が姿に恋をして死んでしまったというギリシャ神話の「ナルキッソス」を思い起こさせます。
まさしく「不幸の種」に恋をしているのです。
これを自ら好んでその種だけを選び取っているというのです。
ではどうして「しあわせの種」より「不幸の種」を選んでしまうのでしょう。
一つは「不幸の種」の方がその人にとって目に付きやすいから。
その根底には「しあわせの種」は持っていて当たり前だとの思いがあるのではないでしょうか。
それでは、こんな時はどうしたらいいのでしょうか。
自らが「不幸の種」に見入ってしまっていることに気づくしかないでしょう。
気づけば「不幸の種」を手放し、「しあわせの種」を掴み取ることも可能となります。
そして、その種を育てればいいのです。
そうすればその人はきっとしあわせになるでしょう。
なぜなら「しあわせの種」はしあわせにしか育たないのですから。 
 
生きていく途上には「しあわせの種」も「不幸の種」も同じようにたくさんあることでしょう。
もし「不幸の種」を見つけても隠したり、捨てたりせずにそのままそっと置いておきましょう。
「しあわせの種」だけを見つけ育てましょう。
「しあわせの種」を見つけられる人は、他者の中にも「しあわせの種」を見い出し育てることができるでしょう。
それが「プラス思考」とか「人を活かす」ことにも繋がると考えます。
 
自分がどちらの種を見い出しているのか知りたい方、気づきたい方、精神分析がその一翼を担えると考えています。
シニフィアン研究所までお問い合わせください。  http://signifiant-lab.com/
Twitterはこちらです。 https://twitter.com/rakuhomanami