2012年10月18日木曜日

292)まとまりのある身体イメージを持つために

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「まとまりのある身体イメージを持つために」 について書きたいと思います。

前回の続きです。
バラバラの身体イメージをまとめあげるには『鏡像段階』と呼ばれる体験が必要だと書きました。
では、具体的にどうすればよいのか?
それについて書きたいと思います。
(ここでは、ラカンのいう『鏡像段階』の体験をするという意味で『鏡像体験』と呼びます)

鏡像体験とは、文字通り「鏡に映った姿を自分だと認める体験」のことです。
私たちは鏡に映った姿を自分だと信じていることでしょう。
そのように、鏡に映った姿だけでなく、
自分について他者が語った言葉を通して、自分のイメージを創り上げているといわれます。
例えば
「優しい人ね」
「おとなしいね」
「明るい人ね」
「早口だね」
「口うるさい人だ」
「おっちょこちょいだ」etc
様々な語らいが、鏡の役割をすると考える観点です。

そのような自分についての語らいを総合して、
自分のイメージを創り上げてゆくようです。
それらをどのように取り入れたか、
反対に取り入れなかったかは、人によってさまざまです。
それは、精神分析の中では一つの重要なものとなります。

とまれ、自分というまとまりを持ったイメージは、
他者の語らいという鏡によって創り上げられるということです。
それには一つ重要なことがあります。
それは、
≪ただ一人の人が、一貫性を持って語り続ける環境≫です。
なぜなら、複数の人が鏡となったなら
複数の語らい(自分について持つイメージ)が出てくるからです。
複数の語らいがあるということは、
自分についてのイメージが一つにまとまらないということです。

まとめあげるには、その核(中心)となるものが必要です。
その核(中心)となるのが、「ただ一つの鏡(ただ一人の人)」です。
その鏡の像が核となって、それに追加、変更をしながら創り上げてゆくのです。

このようにして、長い時間をかけて
『自分というまとまりのある身体イメージ(「肉体」ではなく、「身体」)を持つに至る』と言われています。
その最初の核(中心)をつくるのがラカンの言う≪鏡像段階≫であり、
その体験が『鏡像体験』なのです。
ここで一番重要なことは、最初の核(中心)です。
その核をつくるためには、
≪ただ一人の人が、一貫性を持って語り続ける環境が必須≫なのです。
このただ一人の人には、生母その人であることが望ましいことは言うまでもないでしょう。

鏡像段階、鏡像体験について興味を持たれた方は
シニフィアン研究所までお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/
各種教室、講座も開催しています。http://signifiant-lab.com/raise/

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