2012年10月9日火曜日

286)人間になるとは

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。

           
今日は、「人間になるとは」 について書きたいと思います。

精神分析的観点から、人間になるとはどういうことかについて考えてみたいと思います。
人間と動物の一番の違いは「言語を話すこと」だとよく言われます。
この「言語(言葉)を話す」ことについて考えてみましょう。


ラカンは、言語の世界を「象徴の秩序の世界(象徴界)」と呼び、
この言語の世界へ参入することを『象徴的去勢』を被ると言いました。
ちょっと難しいと感じますが、
私たち人間の世界では、この象徴的なものが優位を占めているともいえるでしょう。
例えば「紙幣」はその代表です。
(紙に「10000」と書かれていると、それは一万円の価値を持っていることになります)
そして、それが流通(通用)しているのは
その価値(意味付け)をその世界内の人が承認しているからです。


このように、言語も紙幣と同じように、象徴的なものだとする観点です。
ここから、
人間になるとは象徴界と呼ばれる「言語の世界」に参入することだと言いたいのです。
言い換えると、
人間であるとは、言語に代表される象徴秩序の世界に生きてゆくことを意味します。
また一方では、人は自らも象徴するように求められているとも言えるでしょう。
例えば
「何をしたいのか」
「何のためにそれをするのか」
「なぜ?」
「どうして?」etc
このように、これらの問いかけに答えるように求められているのです。

そして、これらの問いかけの前で立ち止まった時
人は悩み、迷い、とまどい、苦しみ、時には応えきれずに叫び、病にもなるのではないでしょうか。
人が生きるとは、
人間であるとは、
これらの問いかけに常にさらされ、答えなければならない
そんな世界の中に住んでいるといえるのではないでしょうか。


この観点から考えると
人間であるがゆえに
言語を話すがゆえに
悩み、苦しみ、病むのだといえるのではないでしょうか。

では、そもそも私たちは、どのようにして象徴界に参入してゆくのでしょうか。
このことについては、次回に書きたいと思います。


シニフィアン研究所では
勉強会や講座を通じて、人間について考えています。
興味を持たれた方は、お気軽いお問い合わせください。
シニフィアン研究所のHPhttp://signifiant-lab.com/
「私と精神分析」も参照くださいhttp://agency-inc.com/analysis6/

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