2012年8月30日木曜日

267)居場所―ただ聴いて欲しい

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「居場所―ただ聴いて欲しい」 について書きたいと思います。
日々、クライアントと向き合っていますが、
その中で、クライアントからよく聞く言葉があります。
今日は、その一つを紹介します。
それが「ただ聴いて欲しい」です。
 
考えてみれば、
あちこちで「評価される」ことが多いのでしょう。
学校、塾はもちろんのこと、習い事、職場でも
常にだれかと比べられ、評価されることが当たり前になっています。
競争社会にどっぷり浸かっているのですから、当然かもしれません。
せめて、家の中でだけは・・・・
と、思うけれど、それも叶わない。
家の中も外も同じ、常に人からの評価が待っている。

そんなとき、
だれかが、黙って聴いてくれる。
評価することもなく
良い悪い、正誤も言わず、ダメとも言わず
ただただ、「そうか、そうか、そうなんだ」と聴いてくれる。
そんな人が居てほしい
そんな場所が欲しい。
このように、だれもが心のどこかで叫んでいるのではないでしょうか。

あるクライアントが言いました。
≪かつてこんなに長い時間、自分が喋りっぱなしだったことはなかった。いつも誰かに邪魔されたり、さえぎられたりして、
最後まで
聴いてもらったことはなかった。≫
また、
一年半の間、毎週身の上話を涙と共に語り続けた人もいました。
それらの大半を語り終えた時、
その女性を見てびっくりしました。
『こんなにも色が白くて、綺麗な人だったのか』と。
それまでは、背中を丸めてうつむき、暗い顔をしていました。
それが
まるで別人のようになったのです。
正直、驚きと共に感動しました。
人は、心の中のヘドロを吐き出した時、こんなにも変容し、輝くものであるのだと!

フランスの精神分析医である、ジャック・ラカンは言いました。
【身体は文字が刻まれた辞書のようなものである。】
まさしく、彼女は
暗く、重く、苦しく、筆舌しがたい過去を身体に刻み込んでいたのです。
それが『語る=言葉にする』ことによって、
身体に刻まれた文字(言語)が剥がれ落ちたのでしょう。

だれもが、その人固有の文字を刻んでいると考え、
それを分析家に語ることで、自らが明らかにし、知っていく方法が精神分析です。
そして、必要とあらば、
その言語を、自分の好きなように書き換えることも可能です。

前述の彼女は
「苦行僧」→「修行僧」→「普通人」へと書き換えました。
ただただ、語り続けることで気付き、書き換えたのです。
このように、
誰かに語り続けたい、聴いてもらいたい、
と、大半の人が叫んでいると思うのです。

「あるがままの自分」が裁かれることもなく、批判されることなく、
指導されることなく、他者に受け入れられること。
それが癒しであり、自己を知ることであり、変容へと繋がってゆくことだと思うのです。

話しても仕方がない。
どうせ言っても・・・・・
と、思ってあきらめていませんか。
聴いてくれる人は必ずいます。

シニフィアン研究所のHPも参照ください。http://signifiant-lab.com/
オールOK子育て法http://signifiant-lab.com/raise/
思春期の悩みhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
恋愛と結婚ー仕事と生きがいhttp://signifiant-lab.com/woman/

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