2012年8月4日土曜日

256)自傷、自虐行為の向こうにあるもの=罪責感

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「罪責感」について書きたいと思います
罪責感とは、精神分析では
監視する自我とみられる自我の間に生まれる緊張感のことを言います。
この緊張感は、親から禁止され、それを取り入れたところから生まれるとされています。
ちょっと難しいかもしれませんが、
「自責の念」とか、「罪意識」とか言われるものと考えていただけばよいと思います。

罪責感がないと法やルールを無視し、社会の中で犯罪を犯し、
罪責感が強すぎると、うつや自傷・自虐行為、自殺へと自分を追い込んでしまう可能性があります。
一方で罪責感は、道徳心や自制心などを培う基にもなると言われます。
適度な罪責感をもっていることは、
社会で生活する上で、必要なアイテムだと言えるでしょう。

例えば、
災害や事件、事故に遭遇した時
「何で自分だけ助かったのか」
「どうして何もできなかったのか」
「自分が身代わりになればよかった」
などと、自分を責めることでしょう。

助けられなかった自分、何もできなかった自分を責める気持ちです。
その自責の念にさいなまれて、たまらなくなる。
周りの人から「あなたのせいじゃないよ、仕方がなかったんだ」と言われても、
自分が自分を許せないのです。
これは、人として当然な反応かもしれません。
ところが、中には
この自責の念から開放されず、一歩も進めない人がいます。
「時(計)が止まってしまった」
と語ります。

また
「幸せになろうとすると、なぜか不幸がやってくる」
「私は、幸せになってはいけないんです」
などと語る人がいます。
この人たちも何らかの「罪責感」を持っている可能性があります。

これらの場合は、
なぜそんなにも自分を許せないのか?
なぜ時が止まったままなのか?
どのような「罪責感」を持っているのか?
それを知る必要があるでしょう。
それを知れば、その罪責感から開放され、
適切に書き換えることが可能です。

それには、精神分析が必要となるでしょう。
必要な時間をかけて、
悲しい(不幸な)自分と向き合うことで
悲しみ(不幸)は悲しい(不幸な)出来事として
その人の心の中で整理されることでしょう。
そうすれば、
ゆっくり前を向いて歩み始められるのです。

シニフィアン研究所では、精神分析という対話療法を中心に
自分と向き合うお手伝いをしています。
各種相談会、勉強会、養成講座も開催しています。
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