2012年9月27日木曜日

282)虐待、育児放棄をなくすために

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「虐待、育児放棄をなくすために」 について書きたいと思います。
乳幼児の虐待や育児放棄が、かつてないほどメディアで報道されています。
昔も、状況は違えどもあっただろうと推測されます。
それにしても、あまりにも多すぎる印象を持たれているのではないでしょうか。
「虐待や育児放棄するなら、なぜ産んだのか」
といった言葉も聞こえてきます。

≪虐待や育児放棄≫を『甘えと依存』という側面から考えてみたいと思います。
繰り返しになりますが、
すべての人にとって『母』が最初の欲望(愛)の対象であり、
そして、『母』その人自体は禁止される対象でもあります。
それゆえ、その欲望(愛)の対象を母以外の人(もの)に置き換えてゆく。
この「母を求める欲望(愛)」の原初的代表が『甘えと依存』だと書きました。

つまり、
身体的に求めあう男女は、この欲望(愛)の置き換えであり、
互いに『甘えと依存』を再現している姿だと捉えてみます。
すると、
妊娠・出産・育児はその行為の結果であり、
当然、二人が共に「引き受ける覚悟と自覚」が要求されます。
言葉を代えて言うと
育児は『甘えと依存を求めるわが子に与えること』を引き受けることでもあるのです。

ここで、もし、自分が『甘えと依存』の再現だけを求め、
与えることを引き受ける覚悟と自覚を持たないまま
妊娠・出産・育児が現実のものとなったならどうでしょうか。

特に、育児は24時間待ったなしに、ひたすら与え続ける状況が続きます。
この現実は「可愛い」と思える気持ちを掻き消してしまう。
「欲しいのは子どもではなく、この私だ」
「もう嫌だ、逃げたい」
可愛いはずのわが子は、
やっかいなもの
で、自分を邪魔するもの、奪取するもの、排除したいものとなってしまうのではないでしょうか。

このような気持ちの連鎖が止められなくなった時
結果的に
虐待・育児放棄と呼ばれる状況を作り出してしまうと考えられます。

この観点から見た時、
虐待・育児放棄をなくすためには、
『甘えと依存』を求めていることを自覚し、
その気持ちを得る方法が他にもあることを知ることと同時に、
『甘えと依存』をいかに断ち切るか、ではないでしょうか。
これが、養育する側、
ひいては社会に求められることだと思うのです。

シニフィアン研究所ではそれらについての具体的な相談、勉強会をしています。
詳しくは
シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/ 
(むかい あい)までお問い合わせください。

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