2014年5月26日月曜日

380)基本的信頼感と愛着

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。
今日は、「基本的信頼感と愛着」 について考えてみます。

辞書によると以下のように書かれています。
「信頼」とは信じて頼ること。
「頼る」とは1.縁をもとめる。2.よりすがる。たのみとする。3.てづるとする4.心がひかれる。つられる。5.言い寄る。
精神発達論の観点からは、「基本的信頼感」が思い浮かびます。
基本的信頼感の形成には、オールOKで育てられる体験(環境)が基本であり必須です。
「愛着」とは、乳幼児期に長期にわたって適切な世話を受けることにより形成される母子関係を中心とした情緒的な結びつきを指します。
ここから、「愛着」と「基本的信頼感」の形成にはどちらもオールOKの環境が必須であることが分かります。
つまり、「愛着」がなければ「基本的信頼感」も育たないし、「基本的信頼感」がなければ「愛着」もないといえるでしょう。
ここで、ある人のエピソードを例に紹介します(本人の了承済)。
分析の場で、ある女性が語った言葉です。(要約)
・「人にできて自分にできないことはない」と、つい頑張ってしまいます。
・人に負けるのが大嫌いです。
・なんでも自分で解決しようとします。
・器用貧乏なんです。
・思い切りがいいと言われます。
・思ったらすぐに実行しないと気が済みません。 
・整理整頓が好きです。
これらの語らいから、彼女自身が「基本的信頼感」や「愛着」を学習できていない可能性に気づきました。
何でも自分でやろうとするのは、意欲があるからではなく人に依頼できないから。
人に依頼できないのは、人を信頼していないからだし、その結果負けず嫌いで器用貧乏となった。
思い切りがよく、整理整頓が好きなのは、その対象に対して愛着がないから、平気で捨てられる。
つまり、自分は「基本的信頼感」や「愛着」を学習していない、体験していない可能性が高い。
このことに気づきました。

彼女の語らいが事実かどうかは分かりませんが、今の彼女には大した問題ではありません。
彼女にとって大切なことは、事実かどうかではなく、これらの気付きが彼女にある納得をもたらしたことです。
ある納得とは、彼女の言葉を借りると、「それまでの自分がストンと腑に落ちた」です。
つまり、過去の自分の言動に彼女なりの意味づけができたことが彼女を納得へと導いたいうのです。
彼女はそれまでの自分を知ったことで納得し、これからどうしていくかを自ら決定していくことでしょう。
「基本的信頼感」や「愛着」が学べる環境だったかどうかの是非よりも、今の自分の言動に自分自身の納得と理解(自分なりの意味づけ)を持つことが、これからの自分の人生を自分の意志で決定してゆくことへとつながることを彼女は教えてくれました。
そして、何よりもこれから子育てをする、あるいは現在している養育者の人たちに、「基本的信頼感」と「愛着」を育てることの大切さをより理解し、実践してもらいたいと願っています。
質問ご意見はシニフィアン研究所HPまでhttp://signifiant-lab.com/
Twitterもしています。https://twitter.com/sindoumaki 

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