2013年10月4日金曜日

348)まなざしの意味

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題となることでしょう。
 今日は、「まなざしの意味」 について考えてみます。
視覚とまなざしは違います。
視覚は「光の刺激を受けて生じる感覚」と辞書にもある通り、一つの感覚です。
それに対し、まなざしは「目つき、目の表情、視線」とあり、相手のまなざしの中に、「意味」を読み取るといえるでしょう。

例えば、自分が何かを言ったとき、相手が
・笑顔になった=喜んでいる=私は好かれている
・無視した=怒った=私は嫌われている
・反応がなかった=どうしたんだろう=不安になる

このように、相手の態度や反応によって、そこに何らかの意味を読み取る。
読み取りの基準は、過去のデータ(経験値)との照合です。
そして、その始原はやはり養育者(母)との交流からだといわれています。
母が子どもの言動をどのように受け止め、語ったか?
いつもニコニコ顔の母が目の前にいたら、子どももニコニコ顔になる。
そして母が「〇〇ちゃん可愛いね、嬉しいね、楽しいね」と共に味わえたなら、きっと母と子はしあわせな気持ちに包まれることでしょう。
一方、いつもプリプリ顔の母が目の前にいたら、自分もプリプリ顔になりがち。
そして、母が「〇〇は言うこと聞かない悪い子だ、うるさい、あっちへ行け」と怒鳴りつけたなら、子どもは悔しさと悲しさのあまり泣きだし、暴れるかもしれません。
まるで母と子は、互いを映す鏡のようです。

お互いのまなざしの中に互いの笑顔や怒りを映し出す。
笑顔は二人に喜びとしあわせをもたらし、それが安心と安らぎへと繋がる。
怒った顔は二人に怒りや憎しみの感情を引き出し、恨みへと繋がるかもしれません。
このように、母と子はお互いを映す鏡の関係となります。
相手のまなざしの中に映った自分の姿を見つめ合っているのです。
これを「まなざしの交換」と呼びます。
仲睦まじい恋人同士の姿を想像すると理解できるでしょう。

この体験を基礎にして、その後の経験値を積み重ねてゆく。
そして、その膨大なデータをもとに、常に相手のまなざしの中に意味を読み取ろうとする。
同じ表情でも、人それぞれ読み取る意味は違っていることでしょう。
その読み取った意味は、誰の意味?
鏡の関係から考えると、、、
このように考えてみると、まなざしが怖いという人はそこにどんな意味を見い出しているのかが見えてくる気がします。
その人はそれまでどのような姿を映し出されてきたのかも想像できることでしょう。

笑顔は相手の中に喜びとしあわせ、安らぎをもたらし、それが鏡の像として反射して自分にも跳ね返ってくる。その結果、自分も喜びとしあわせと安らぎを感じる。
そんなまなざしの交換が互いの喜びを増幅させることとなる。
これが相思相愛の姿なのでしょう。

♪目と目で見つめ合い~♪
「目は口ほどにものを言う」「目は心の鏡」「目は心の窓」
こんな歌詞と故事ことわざを思い出しました。

今回は「まなざしの意味」について考えてみました。
無意識に読み取っているまなざしの意味に注意を向けてみることも、新たな自分発見に繋がる方法だと思います。
ご意見、ご感想はシニフィアン研究所、迎意愛までお寄せください。
シニフィアン研究所 http://signifiant-lab.com/

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