2013年3月23日土曜日

331)うつ・引きこもりを助長しないために

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。
今日は、「うつ・引きこもりを助長しないために」について書きたいと思います
春は、うつや引きこもりの人たちにとって辛い時期です。
なぜなら、他者との差をより感じてしまう時期だからです。
では、その差を感じないようにするにはどうすれば良いのでしょうか。
うつや引きこもりを助長しないためには、何が必要でしょうか。
ここでは、引きこもることの大切さを書きたいと思います。

春は、卒業、入学、就職など変化の大きい季節です。
また、芽吹きや開花など自然の成長が目に見えやすい時期でもあります。
うつや引きこもりの人たちには、
「言えない」「出せない」「動けない」があります。
ですから、自己主張し、活動的で、どんどん変化、成長してゆく姿を目にすると
自分との落差の大きさを感じてしまうのです。

例えば、
幸せそうに見える光景は、不幸な自分を感じてしまう。
楽しそうな姿を目にすると、苦しい自分をより意識してしまう。
嬉しそうな人を見ると、より辛い自分を見い出してしまう。
活動的な人に接すると、動けない自分と比べてしまう。
そして、自分を責めてしまうことになる。

ある人が言いました。
<幸せな人を見ると腹が立ってくる。
いつしか、大声を上げてすべてをぶち壊してしまいたくなります。
刃物を持ち出して、あたりかまわず振り回したい衝動に駆られるのです。
そして、そんな自分が怖くなり、益々落ち込むのです。>

この時期に一番大切なことは、幸せそうな人に会わないことです。
つまり、その人が一番安心できる環境の中に引きこもっていること。
周りの人も、持ち込まないことです。
ですから、
一番避けなければいけないのは『結婚式』への出席です。
うつや引きこもりを助長しないためには、
これらのことを周囲の人が理解し、引きこもることが必須です。
まずは、これが助長しないための第一歩です。

なぜ人は落ち込むのか、引きこもるのか、
共に考えてみませんか。

シニフィアン研究所では、これらの勉強会もしています。
詳しくはお問い合わせください。
シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/

2013年3月21日木曜日

330)自己愛と自己嫌悪

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。

今日は、「自己愛と自己嫌悪」について書きたいと思います

自己愛とは、セルフラブ、自分を愛すること。
それには3つあると言われています。
1.自己肯定感
2.自己価値観
3.自信

これらの基本は、まず生理的欲求の満足から始まります。(原始的自己愛)
いわゆる「快食・快眠・快便」です。
これらが満たされること=肉体的満足
これは乳幼児期には絶対条件となるでしょう。
それゆえ、世話をしてくれる大人(母)の影響が多大だと考えられます。
つまり、母との交流を通し、
自らの生理的欲求の満足を基本に、自己愛が育てられると考える視点です。
簡単にいうと、
生理的欲求の満足は自己愛を育てる基本ということになります。
欲しいときに欲しいものが与えられ、
したいときにしたいことができるという環境があることです。

ところが、成長に伴い
「しつけ」という名のもとに、過剰な禁止と親からの一方的なコントロール(押しつけ)がされます。
(適切なしつけは必要です)
ややもすると、社会的成功(学歴、職業、金銭など)を自己愛の満足とみなす傾向があるようにも感じられます。
成功は自我の満足であって、身体的欲求の満足ではないのではないでしょうか。
少なくとも子どもが求めているものではないように思います。

子どもが自己愛を育てるために必要としているのは、
「愛情」「支持」「親密さ」「母からの身体的接触」などではないでしょうか。
そして、「自分への関心と敬意」を求めている。
つまり、
まずは、わが母からの温かい「眼差し」と「肌の触れ合い」を求め、
それによって何よりも「安全と安心」を感じ取る。
それが「母から愛されている」
自分は「生きていて良い存在である」
「この世で生きる意味がある」などなど、
自己愛の基本とされる「自己価値観」「自己肯定感」「自信」に繋がるのだと思います。

不登校・ひきこもり・問題行動などの子どもたち、
うつなど心身の悩み苦しみを持つ方々と接し、彼らが共通して叫んでいることだと感じています。
それほど、人は安全と安心を求め、
そして何より自己愛の傷つきを恐れ、自己愛を守りたいと切望していると感じるのです。
「〇〇さんの一言で心が傷ついた」
「心が折れてしまった」
などと表現されるのはその証ではないでしょうか。

子どもの自己愛を育てるためにはどうしたら良いのでしょうか?
それは、常に子どもの側を離れず、時々の子どもの要求や欲求を聴き、満足させること。
関心をもち、敬意を払うこと。
そうすればきっと自己愛は高められることでしょう。
それらが不十分な場合、
子どもは不全感を抱き、自己愛は傷つけられ、
何らかの行動や身体を使って表現するようになるでしょう。
そして、そんな自分が嫌だという自己嫌悪を育ててしまう可能性があります。
自己愛を育てられた人は、人を信じ、尊敬し、愛し、生きる意味を見い出し、
たとえ困難に遭遇しても人生を楽しく、明るい未来を描いて生きてゆくことでしょう。

自分が好きですか?
「大好きです」と即答できますか?

自己愛の育て方を共に学びませんか。
「やさしい精神分析講座」http://signifiant-lab.com/#11
「インテグレーター養成講座」http://signifiant-lab.com/#13などで学べます。
「オールOK子育て教室」http://signifiant-lab.com/#10もあります。

2013年3月12日火曜日

329)母子分離=母が言語になるとき

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。

今日は、「母子分離=母が言語になるとき」について書きたいと思います

母はすべての人にとって、最初の愛着の対象だといわれています。
それは、自分という存在をこの世に生み出してくれたその人だからです。
そして、乳幼児の時代は、
誰かに適切な世話をしてもらわないと、片時も生きられない存在だからです。
だからこそ、生み出してくれたその人に常に側に居て欲しい、
自分だけの人であってほしい、
独り占めしたいと切望するのでしょう。

しかし、社会参入することは、
その愛着の対象との別れを受け入れることでもあります。
心身ともに自律するためには、必須のことです。
つまり、子ども時代を終わらせ、大人の世界へと参加することを期待されています。
そのことを『母子分離』と呼びます。
これは、精神的、空間的、金銭的に自律することを指します。
現在、その猶予期間は約20年と言えるでしょう。
身体的に分離してから20年をかけて、精神的に分離することを求められているということです。
精神的に母子分離することを考えたいと思います。
様々な切り口がありますが、
ここでは、母が言語になることだと言いたいと思います。

どういうことかというと、
生身の自らの母が、だれもが自由に使う『母』という言語になることを意味します。
つまり
・思う通りにさせてくれなかった母
・言うことを聞いてくれなかった母
・放任の母
・支配した母
・頑固な母
・わがままな母
・他の兄弟姉妹に獲られた母
・溺愛した母
・いつも不在だった母
などなどの母から
・『ただの母』
・『どこにでもいるボケ老人』
・『ただの人』になることです。

ある人が淡々と言い放ちました。
<私を支配し続けた母でしたが、今ではどこにでも居るボケ老人になりました>と。
そのように語るまで15年近くの時間を必要としたとも語りました。
何の感情も交えず、湧き上がることもなく、
やっと<ただの人になりました>と言えるようになったと語った人もいます。
彼らはそれまで、多くの不平不満を語り続けました。
また、不平不満すら語るまでに相当な時間を要した人もいます。

ただ、共通していることは
長く抱えてきた母への不平不満を語り続けた結果、
『母』という誰でも使うただの言語となったということです。
<母を尊敬している>と語る人もいます。
それでも、そうではない部分を語り始めた時、何かが変わったともいいました。
とまれ、
「母」は誰にとっても一度は必ず意識して語る必要のある存在なのです。
それが、色々な意味において《偉大な存在》と言われるゆえんなのでしょう。


あなたの「母」はあなたにとってどのような人でしょうか?
母を語るとき、どのような感情が伴うでしょうか?
あるいは、何らの感情も湧き上がってこないでしょうか?
母なくしてこの世に生み出されることはなかった。
これはまぎれもない事実です。
だからこそ「母」は母港であり、故郷であり、世界でただ一人の特別な人。

母について語ってみませんか。
自分にとって母とはどのような人なのか知りたくなったら
精神分析は役にたつでしょう。
興味を持たれた方はこちらを参照ください。
「自己を知る」講座もあります。
シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/

月刊精神分析2013年2月号『グリム童話・白雪姫』でも取り上げられています。
詳しくはこちらを参照ください。http://agency-inc.com/grimm/

2013年3月4日月曜日

328)子どもの成長の芽は子どもが知っている

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。

今日は、「子どもの成長の芽は子どもが知っている」について書きたいと思います

今日は3月3日、桃の節句、ひな祭りです。
日曜日と重なり、女の子を中心にひな祭りを楽しんだことでしょう。

ある女の子(以下Sちゃんと呼びます)の言葉を思い出しました。
『ママに生きる芽を剥ぎ取られたの』
この言葉に、目を見張りました。
当時、Sちゃんは小学5年生でした。
まだまだ子どもだと見なされる年齢です。
その彼女に何があったかは明らかにできませんが、
子どもの成長の芽は、子ども自身が知っている。
そのように痛感させられる体験でした。

親は、子どもが幸せになって欲しいと願うものです。
必死になってその想いを形で与えようとするでしょう。
親の側から考えると、当然のことだと思えます。
ところが、その想いがどこかで変形して伝わる場合が多いと感じます。
どうしてなのかは、ともかく、
少なくとも、子どもが成長する芽は、子ども自身が知っている。
だとしたら、その芽がすくすく成長するための環境を用意するのが、
周りの親をはじめとする、私たち大人だと思うのです。

そのためにはどのようにすればよいのでしょう。
それは≪子どもに聴くこと≫ではないでしょうか。
なぜなら、子ども自身が知っているのですから。
ここで、本当に子どもは知っているのか?
このような疑問を持つかもしれません。
確かに、聞いても答えられないかもしれません。
それでもよいのです。

一番簡単な方法があります。
それは≪子どもの好きなことをさせてあげること≫です。
言葉で答えられなくても、知っているのなら分かるはずです。
あるいは、子どもが自らそれを見つけ出すことでしょう。
大人に必要なことは、信じて見守るまなざし(環境)ではないでしょうか?

『いいのよ、あなたの好きなことをやってごらん。』
このように言ってもらえたなら、
きっと子どもは『生きる芽を育ててもらった』と語ることでしょう。

私たち大人は、ややもすると親の立場からの熱い想いに捕らわれて、
知らない間に子どもの育つ芽を剥ぎ取ってはいないでしょうか?
このことを、Sちゃんから学びました。

子どもの精神はどのように育つのかを共に学びませんか。
興味を持たれた方はこちらを参照ください。
やさしい精神分析講座 http://signifiant-lab.com/#11
子育て講座 http://signifiant-lab.com/raise/

2013年3月2日土曜日

327)3月度関西出張のお知らせ

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。
今日は、「3月度関西出張のお知らせ」について書きたいと思います
3月になりました。明日3日は「桃の節句」。
昨日は、春一番が吹いた地域も多かったようですね。
芽吹く季節と共に、さらなる成長への一歩を歩みませんか。

今月度関西出張のスケジュールのお知らせです。
和歌山市での面談場所が変更になりました。
詳しくはお問い合わせください。

☆3月5日(火)
 ・10:00~12:00 「ラカン講座」
 ・12:45~19:30 面談
☆3月6日(水)
 ・10:00~12:00 「インテグレーター養成講座」
  テーマ《エディプス期》
 ・13:00~15:00 「インテグレーター養成講座」
  テーマ《交流分析Ⅱ人生脚本と親の自我状態》
 ・15:00~18:00 面談
 ・18:30~20:30 「インテグレーター養成講座」
  テーマ《無意識論Ⅱコンプレックスと個性化》
 ・21:00~22:00 「電話セラピー」
☆3月7日(木)
 ・10:00~12:00 「フリートーク」
  テーマ《オールOK子育て法》
  お茶菓子を囲んで、語り合いましょう。
  参加費:1人1.000円(小学生以下無料)
  飛び入り歓迎ですので、お友達を誘って気軽に参加してみませんか?
 ・13:00~ 面談
 ・17:00~22:00 大阪市難波にて面談
☆3月8日(金)
 ・9:00~新宿周辺にて面談
まだ面談や電話相談などの空き時間もありますので、お問い合わせください。
なお、3月4日午後からは携帯の方へご連絡ください。
連絡先などはこちらを参照ください。http://signifiant-lab.com/#8

2013年2月19日火曜日

326)寄り添う・聴く・受容することは自分を捨てることから

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。

今日は、「寄り添う・聴く・受容することは自分を捨てることから」について書きたいと思います

大切な誰かに寄り添いたい、聴きたい、受け入れたいと思っているのに、
どうすれば良いのか分からないと思うことはありませんか。
自分では必死の想いで相手のことを考えているつもりなのに、伝わらない。
理解してもらえない。
どうしてなんだろうと頭を抱えたことはありませんか。
相手に寄り添いたい、
相手の想いを聴きたい、
相手を受け入れたいと思っている。
そのためには
《自分の想いをすべて捨てることからだ》と言いたいと思います。

不登校や引きこもり、暴力を振るった人がよく口にします。
「うるさい、黙れ」
「放っておいてくれ」など
親をはじめ、周りの人たちは心配しているからだと言います。
放っておけないからだと言います。
どうしてこのようなことが起きてしまうのでしょうか。

お互いに大切な相手であるはずなのに、
何とかしたい、何とかしてあげたいと思っているのに。
それは「ズレ」と言える気がします。
お互いが訴えていることの間にズレがあることに、双方が気付いていない。
言い方を変えれば
お互いが自分の想いで聞いてしまっているのではないでしょうか。

「きっとこのように想っているに違いない」
「このように考えるに違いない」
「そんなはずはない」etc
これらの「ズレ」を調整して合わせれば
お互いに想いが通じ合うのではないでしょうか。
そのために必要なことは何かと考えたいと思います。

まず、相手を想うあまりに、
いつの間にか自分の想いを押し付けてしまっていませんか。
「早く元気になって欲しい」
「早く社会参入してもらいたい」
「早く〇〇して欲しい」
このように思うことは当然のことかもしれません。
ところが、それが相手にとって、
時には重荷となり、押しつぶされそうに感じる場合があるようです。

だから
「しばらく一人にしてくれ」
「黙っていてくれ」
「放っておいてくれ」
「自分のペースでやらせてくれ」
このように叫びたくなるのかもしれません。
この言葉が伝わらないから
緘黙となり、引きこもり、
時には理解されない苛立ちから、結果的に暴力という手段となってしまうのかもしれません。
まずは、自分の想いは一切捨てましょう。
次に、目を閉じ、口を閉じ、手を出さず、耳だけ傾けましょう。
見れば言いたくなります。
手を出したくなります。
耳だけはしっかり開けて、相手が言う言葉だけを聴きましょう。

自分の想いは一切捨てて聴きましょう。
この姿勢が《オールOK》であり、
《寄り添うこと》であり、《聴くこと》であり、《受容すること》に繋がることだと思うのです。
これができたなら、きっと気付くことでしょう。
何に気づくのか?
それは、是非体験して味わってみてください。

まずは、自分の想いをすべて捨てましょう。
ここからスタートしてみませんか?
共に学びませんか?
興味を持たれた方はシニフィアン研究所のHPを参照ください。http://signifiant-lab.com/
オールOK子育て法http://signifiant-lab.com/raise/
思春期の悩みhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
不登校の子どもの母よりhttp://signifiant-lab.com/escape/

2013年2月13日水曜日

325)自責・罪責感―自分を裁くのは自分

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。

今日は、「自責・罪責感―自分を裁くのは自分」について書きたいと思います

自分が嫌になりました。
自分が悪いんです。
私の責任です。
自分さえ我慢すればうまくいく。

このような言葉をどれだけ語ってきたことでしょう。
すべては自分に原因がある。
時にそうかもしれません。
でもすべてではないはずです。
それでも、つい自分を悪者にしてしまう。
いつの間にか自分を責めている。
そして、自分に『ダメだ、これではいけない』と言い聞かせ、
どれほど罪責感に苛まれてきたことでしょう。
時には逆に
自分のせいではない、相手が悪いんだ。
と叫んでみても、やっぱり自分に戻ってくる。
まるでブーメランのように。
とうとう、そんな自分に愛想が尽きて座り込んでしまう。

一体、なぜこのような自責・罪責感に捕らわれてしまったのでしょう。
それは自分の中にある、もう一人の自分。
それらは、かつて親や周りの大人からの言葉だったかもしれない。
しかし、いつの間にか誰かを離れて(脱人格化という)
その言葉だけが自分の心の中に棲みついてしまった。
その言葉が、語りかける。
≪お前が悪い、すべてはお前の責任だ。≫
≪お前さえ我慢すれば、すべてうまくいく。我慢しろ。≫
≪ダメだ、ダメだ。もっと努力せよ≫
このように囁き続ける。

そんな自分の中の声は、すべて捨てましょう。
そして、自分に向かって言いましょう。
≪そうよ、これが私よ。こんな私だからこそ、私なのよ。≫
≪私はわたし、ほかの誰でもない。≫
≪こんな私かもしれないけど、こんな私でいいのよ。≫
まずは、自分の中のもう一人の自分に語りましょう。
まずは、自分で自分を許してあげましょう。

そうしたら
わがままで、自分勝手で、お調子者で、おっちょこちょいで、早とちりで、
目立ちたがりで、自己顕示欲がめちゃめちゃ強い。
だからこそ、ほかの誰でもない私。
こんな自分と和解しようと思う。
こんな自分を許してあげようと思う。
こんな自分だけど、「まあいいや」と微笑んであげよう。
こんな自分から出発しようと思う。

そう思えたら、心が軽くなった。
何だか頬が緩んできた。
笑いが込み上げてきた。
思いっきり笑った。
声あげて、お腹抱えて笑った。
涙が出てきた。
悲しくもないのに、嬉しくもないのに、なぜか涙が溢れてきた。
そして、自分に言った。
【おめでとう!ようこそ私。これからもよろしくね】

誰よりも自分を許さなかったのは自分。
誰よりも自分を裁いたのは自分。
誰よりも自分を責めたのは自分だった。
それに気づいたから、許してあげた。
もういいよ。
これからはお互い楽しもうね。
これからお互い嬉しいことを探そうね。
融けはじめた雪が、太陽に眩しく反射して、
私の心も解け始めた。

あなたは自分を責めていませんか?
自分が我慢すればよいとどこかで思っていませんか?
ふと足が止まった時があったら、一度問いかけてみませんか。
シニフィアン研究所のHPも参照ください。http://signifiant-lab.com/
埼玉県を中心に全国へと発信しています。