2014年6月19日木曜日

385)子どものしあわせ―安全と安心

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。
今日は、「子どものしあわせ―安全と安心について考えます。
子どものしあわせって何か?
それは、何よりも安全と安心の環境だといいたいと思います。
ここでいう環境とは、家庭内の環境を、子どもは、小学校入学以前の子ども、しあわせは、子どもが嬉しい、楽しいと感じることと限定して考えてみます。
そうすると、子どものしあわせとは、家庭内で嬉しい楽しいと感じる環境であり、それが安全で安心の環境となります。
では、子どもが嬉しい楽しいと感じるとはどういうことでしょう。
したい時にしたいことができ、したくないことはしないことが許されること。
つまり、その時その時のあるがままを認められ、受け容れられることではないでしょうか。
しつけという名のもとに、親の都合のよい子どもに仕立てあげられないことです。
あるがままを認められ、受け容れられるとはこのようなことではないかと思うのです。
こういうと、「それでは社会では生きていけない」「後で困るのは子どもだ」「わがまま気ままになる」「親として責任がある」などの意見が出てくることでしょう。
それらを承知の上で、あえて言いたいと思います。
なぜなら、後に安全と安心の場所を求めて彷徨っている多くの人たちに出会うからです。
お決まりの意見なんか聞きたくない、それくらい分かっている。
そんなことを聞きたいのではない、この気持ちを苦しさを理解して欲しいだけなんだ。
意見されず、操作されず、求められず、ただホッとできる場所、そんな居場所が欲しい。
このように心の奥底から叫んでいる人たちの声を聴きます。
そして、そんな人たちの幼少期の家庭内には、安全安心と思える環境が無かったことを知りました。
一方、様々な違いはあるものの共通していう言葉があることに気づきました。
「寂しかった」「分かって欲しかった」です。
そばに家族が居る、居ないに関わらずです。
「物質的環境は満たされていたが、心は寂しく満たされなかった」と語った人がいます。

成長して社会参入すると、あるがままを認められる機会は少なくなるのは必定。
それならせめて幼少期だからと許される時期に、たっぷり味わえる環境が必要です。
そして、大人になった時、その環境の再現を目指して自らの新しい家庭を持ちたいと欲望する。
まさしく安心と安全と感じられる環境である「家庭」を目指すことでしょう。
「家へ帰ってきたらホッとするなあ」
そんな言葉が漏れ出る環境、それが安全安心の環境であり、仕合せと感じる環境ではないでしょうか。
最初、小学校入学以前の子どもと限定して考えるといいましたが、幼少期の環境を再現する可能性が高いという意味において、年齢は関係ないと思います。ではなぜ、幼少期の環境を再現するのかとの問いには、人は知っていることしかできないと答えておきたいと思います。
子どものしあわせを考える時、まずは子ども自身が嬉しい楽しいと思える環境、あるがままを認められる環境を整えることだと言いたいと思います。

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