2014年1月21日火曜日

363)自分のものになって初めて分かる

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「自分のものになって初めて分かる」 について考えてみます
ある人から聞いた話から始めたいと思います。

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先日、かねてより念願のWii U を買い、うきうきしながらあるゲームをしたのですが、ちっとも面白くなかった。そのゲームソフトはWii Uでしか楽しめないゲームソフトで、尚且つ遠い昔の二つのソフトを同時に楽しめるソフトだそうです。それが発売されてからずーっと欲しいと思い続けていた。ところが、いざ自分のものになって始めてみたところ、昔の感動が蘇ってこなかった。
そして、あの感動したかつての自分は今はもうないことに気づいたと言いました。

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この彼の言葉を聞いて、フロイトのあるフレーズを思い起こしました。
それは「子ども時代はそのものとしてはもうない」です。

ここからは、私の想像です。

・そのゲームソフトは子ども時代にクリスマスプレゼントとしてもらった初めてのものだったこと。
・それらがコラボしWii Uでしかできない限定のソフトであること。
・発売されてから、何度も買いたいと欲望し続けていたソフトであること。

これらのことが、彼の想像の世界でどんどん膨らみ、やがてどうしても手に入れたい対象となったのでしょう。そして、何よりも親から自分のためにプレゼントされたということが、それらの想像を加速させたのではないかと考えてみました。
すると、そのソフトは彼にとって、子ども時代の喜び(親との楽しい思い出)の一つの象徴となった。
なぜなら、彼はそのソフトのことを『夢のようなソフトだ』と語ったからです。

長年の夢がやっと叶うとワクワクしていた彼の気持ちを想像してみましょう。
それはまた、幼少期の喜びの再現となるはずでした。
ところが、いざ自分のものになったとたん、どう感じたか。
かつての喜びの再現はそこにはなかった。
その語らいの表現が『あの感動したかつての自分は今はもうない』です。

このように考えてみると、
そのソフトが彼の熱い想いを引き寄せ続け、その実現にまで導いたのではないでしょうか。
第三者にとっては、彼ほどの価値をもたない「ただのソフト」かもしれません。
しかし、彼にとっては「何よりも手に入れたい夢のようなソフト」となり、10年以上も彼の心を虜にしたのです。つまり
、そのソフトが彼を導いたことになります。
少し大げさかもしれませんが、ソフトが彼の欲望の原因であり、目標となったといえるのではないでしょうか。そして彼は知ったのです。そのソフトが自分にとってどのようなものであったのかを。また過去の自分と今の自分の違いを知ったのです。

想像の中の「ソフト」と現実に自分のものとなった「ソフト」の違い。
彼はそのソフトを我がものとするまでは、想像の世界に中を生きていた。
自分のものになってやっとそのソフトは『ただのソフト』になったと考えてみました。
だとしたら、きっと彼はそのソフトを手放すことでしょう。
ひょっとしたら、Wii U自体をも手放すかもしれません。
その後どうなったか知りたいものです。

以上のようなことを考えてみました。

どうしても手に入れたいものがありますか?
子どもが欲しがっているものはありますか?
もしあるなら、それを手に入れてみてはいかがでしょう。
子どもに与えてみませんか。
それが自分にとってどういうものであるかが分かるかもしれません。
二度と欲しがらなくなるかもしれません。
そして、それがある行動に駆り立てる原因だと考えられるかもしれません。

シニフィアン研究所の真道満喜(しんどうまき)のHPも参照ください。
やさしい精神分析講座はじめ、講座での出張の機会も増えてきました。
共に考えてみませんか。
http://signifiant-lab.com/

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