2015年11月23日月曜日

424) 鏡の中の私

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。
今日は、「鏡の中の私」 について書きます。
目は目そのものを見ることは不可能。だから人は鏡に映して見る。
毎朝鏡を見て化粧したり、洋服を選んだりしている。
それでも時々、鏡に映して確認している。
街のショーウインドーに映った自分の姿を見る。
鏡に映った自分の姿や顔を見て何をしているのでしょうか。
どうやら自分のイメージ通りになっていることを確認し、安心しているようです。
つまり、自分が想像している姿と鏡に映る姿が一致していることの確認をしている。
それほど、人は自分の見え方を気にしているといえます。
一日のうち、どれほど自分の姿を見ているでしょうか。
どうしてそんなに見るのでしょう。
人の目が気になる。
人がどう思っているか気になる。
何か言われるのではないかと思うと人の中に出ていけない。
このように語る人たちがいます。
なぜ人は、それほどまでに他者の目を気にするのでしょうか。

こうのように考えていると、鏡の中の自分の姿とそれを見ている自分の関係は、自分と自分を見ている他者の関係に重なってきます。
つまり、鏡=他者。人は他者の中に自分の姿を映していると考えられます。
もっというと、人は他者を見ているのではなく、他者の中に映る自分自身を見ている。
他者がどのように見ているか=自分の姿
他者に良く見られたい=良い私
他者に好かれたい=好かれる私 etc
だから人は他者の目を気にする。
こうして、私たちは他者という鏡の中の私を見て生きている、他者という自分の姿に翻弄されていると言えるのではないでしょうか。

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2015年11月9日月曜日

423)反抗&11月度関西出張

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。
今日は、「反抗」&「11月度関西出張」 について書きます。
反抗するのはそれまでの世界から脱皮し、新しく生まれ変わりたいとのメッセージであると考えてみます。
反抗するには様々な状況と理由があるでしょうが、何らかの違和感を感じているからでしょう。この違和感を一番感じるとされる青春期(第二反抗期)を例に考えてみます。

それまで周りから当然のこととして求められてきた道をそれなりに歩いてきた。
心身の成長と進路についての問いかけを一つの契機として浮上してくる可能性が高くなります。それまで何らかの違和感を感じていたことが一気に表面化する時期だといわれます。
その代表的な表現が「反抗」でしょう。
本人も訳わからず周りにまき散らす。
頭では分かっていてもコントロールできない。
その矛先はまず母親が多いようです。
よく聞くのが「うるさい」「黙れ」「あっちへ行け」
それに対して母親は「親に向かって偉そうに、一人で大きくなったつもりでいる、何様のつもり」などなど。

これは「もう保護し、一方的にコントロールする母は必要ない、脱皮の時期にきている」とのメッセージではないでしょうか。
母の束縛の世界を打ち破るための行動化でもあり、自らの頭で考え、自らの足で歩もうとする意志表示と捉えてみます。
そうすれば、反抗する子どもに対する見方も違ってくるのではないでしょうか。

ただ一つ成長と捉えるには条件があります。
それは、この反抗は言葉でなされることです。
行動が伴うことも多いですが、まずは言葉で反抗できること。
その代表が「うるさい」「黙れ」「あっちへ行け」です。
その言葉が出たら その言葉に従いましょう。
口を止め、その場を去ることです。
そして、見守りましょう。
静観すること、それがその時期に母ができる最大限の行動です。

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≪11月度関西出張のお知らせ≫
*10日(火)~12日(木) 大阪市・和歌山市
面談・インテグレーター養成講座・≪人間講座-象徴界に生まれる≫・フリートーク(テーマは『自分を守る』 )
*9日(月)・13日(金)埼玉県大宮市
詳しくは、シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/  
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2015年10月4日日曜日

422)見守ること&関西出張のお知らせ

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。
今日は、「見守ること&関西出張のお知らせ」 について書きます。
「見守ってあげましょう」という言葉をよく耳にします。
ここでは、育てるという観点から 「見守る」とはどのようにすることかを考えます。
結論からいうと、文字通り≪見ることで守ること≫です。
まず「見ること」に焦点を当ててみます。
見ることとは眼差しを向けることを指します。
眼差しを向けることとは、関心を持つということです。
つまり、ここでいう『見ること』とは関心を向けることを意味します。
ただ見てればいい、視線を向けていればいいのではありません。
もう一つあります。
それは原則「見るだけ」ということです。
どういうことかというと、「見る」以外は含まない、例えば「口は出さない」「手は出さない」ということです。
見ているとつい口を出したくなったり、時には手まで出してしまうこともあるからです。
これでは相手の自主性や自発性を育てることは難しいでしょう。
以上から≪見守ること≫とは、関心を持って見ることだけで守るとなります。

そして、見守ることは自主性や自発性を育てることにも繋がっているといえるのではないでしょうか。
口出さず手を出さずに見守ってもらえた人は、きっと自ら考え判断し決断し行動する人に育つことでしょう。 

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 ≪10月度関西出張のお知らせ≫
*6日(火)~8日(木) 大阪市・和歌山市
面談・インテグレーター養成講座・≪人間講座-象徴界に生まれる≫・フリートーク(テーマは『ゆとりを持つ』 )
*5日(月)・9日(金)埼玉県大宮市
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2015年9月26日土曜日

421)語り続けたように子どもは育つ

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。
今日は、「語り続けたように子どもは育つ」 について書きます。
「私は〇〇の性格だ」
「私は〇〇の人間だ」
このように自分のことについて様々な表現をします。
そして、そのことについて普段は疑問を持つことは少ないかもしれません。
では、そのような自分についてのイメージ(自我) をどのようにして手に入れたのでしょうか。
例えば「私は明るい性格だ」と語ったとしましょう。
では、明るい性格というのはどのようにして考えるようになったのでしょう。
自分が思っただけで「私は明るい性格だ」と語れるでしょうか。
自分以外の他者から何度もそのように言われ、「私って明るい性格なんだ」といつしか考えるようになったのではないでしょうか。
このように、自分についてのイメージは実は他者から繰り返し言われることによって、それを自分の中に取り込んだと考える視点があります。
自分についての他者の語らいを取り込んで、自分というイメージを創り上げたと考えます。
これを「自我は他者の基で構成される」といいます。
「私は明るい性格だ」と思っていた性格は、実は他者が自分について語ったことだった。
つまり、自分についての語らいは実は他者の語らいだった。
このようになります。
これを自分の子どもに置き換えてみます。
すると、将来どのような子どもに育つかの基本は、育てる人(養育者)の語らいによって決まる。このようにいえるのではないでしょうか。
優しい子どもに育てたいなら「あなたは優しいね」といつも語り続ければいい。
可愛いと思える子どもに育てたいなら「あなたは可愛いね」と語り続けましょう。
そうすればきっと語り続けたような子どもに育つことでしょう。

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2015年8月31日月曜日

420)根無し草(デラシネ)&関西出張のお知らせ

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。
今日は、「根無し草(デラシネ)&関西出張のお知らせ」 について書きます。
デラシネとは、辞書によると「根無し草のことで、転じて故郷や祖国から切り離された人」とのことです。ここではこの意味を転じて、「心の居場所から切り放された人=居場所がないと感じている人」として考えてみることにします。

「どこにも自分の居場所がない」
このような表現を聞くことがあります。
物理的に居場所と定められた場所があっても、その本人が自分の居場所だと実感しない限り、意味をなしません。
つまり、居場所があるとは、「ここが自分の居場所だ」と感じる場所があることを指します。この意味において、根無し草(デラシネ)とは「心の居場所がないと感じている人」となります。
ここが自分の居場所だと感じるとはどういうことでしょう。
居場所があるとは、自分が居る居ないに関わらずその場所が確保されているということ。
いつでも自分の座る場所が存在するということではないでしょうか。
自分が気ままに行っても、常にその場があること、あるいはそのように思えること。
もっというと、自分の気ままにしても許される場があるということ、歓待される場があることだと考えます。
たとえ離れていたとしても自分には帰る場所があると思える。 このような場があると思える時、人は「自分の居場所がある」というのでしょう。
それとは逆の場合を根無し草(デラシネ)といいます。しっかり根を下ろしたいと切望しつつ、どこにも自分の居場所がないと感じ、結果的に放浪することとなる。
以上のことから根無し草(デラシネ)人には「定着」という言葉の意味が理解できない可能性があります。なぜなら、「定着」とはしっかりとつくこと、一定の場所に落ち着くことという意味だからです。

では、定着するにはどうしたらいいのでしょう。
それにはまず、自分の場所(席)を作ってもらうことからスタートです。
すべてはそこからです。それができないとその先はないといっても過言ではないでしょう。 
蛇足ですが、「定着」以外にも「着」のつく熟語を調べてみると、密着、帰着、決着など興味深いものが出てきます。
興味のある方は一度検索してみてください。
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≪9月度関西出張のお知らせ≫
*1日(火)~3日(木) 大阪市・和歌山市
面談・インテグレーター養成講座・≪人間講座-象徴界に生まれる≫・フリートーク(テーマは『分かち合う』 )
*8月31日(月)・9月4日(金)埼玉県大宮市
詳しくは、シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/  Twitter https://twitter.com/rakuhomanami、を参照、連絡ください。

2015年8月3日月曜日

419) 8月度関西出張のお知らせ

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。
今日は、「8月度関西出張のお知らせ」です。
全国的に猛暑が続いています。
今月も関西方面へ出張します。
近隣の方、関心のある方は、この機会を活用ください。
・3日(月) 19:00~21:00 大宮
・4日(火)~6日(木) 和歌山市
・6日(木)18:00~21:00 大阪市難波周辺
・フリートーク 6日(木)10:00~12:00
テーマ 『自己愛~自立』
・5日(水)10:00~12:00   ≪人間講座-象徴界に生まれる≫ 
人として生まれるとは、社会参入するとはどういうことなのか。そして社会、家庭内での男女の性差と役目は何か。女性化する男性が多いのはなぜか。それらを中心に考えます。 
・7日(金)7:30~10:30 大宮
詳細はメール、電話、Twitterで直接お問い合わせください。 
シニフィアン研究所 HP http://signifiant-lab.com/Twitterはこちらです https://twitter.com/rakuhomanami
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「自分と他者は違う」
当たり前のことだと思うかもしれないけれど、そうでもない事象をみる。
相手のためを思ってしたのに、うまくいかない場合がある。
そんな場合、相手のためだと思ってしたことは、はたして相手が望んだ(依頼した)ことだろうかと考えてみる。
ややもすると自分の思いであることが多い。
自分だったらこうして欲しい、だから相手もきっとそうして欲しいに違いない。
このように考えてしたことではないだろうか。
それは自分の考えであって、相手の考えではない。
それが一致したときは喜ばれるかもしれないが、違っていたら有難迷惑となりかねない。
これらの根底には「自分と相手は同じ」という考えがあるのでは?
自分と他者は違っているとの前提であれば違った言動となるのではないだろうか。 

2015年7月24日金曜日

418)欠如を作れば動く

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。
今日は、「欠如を作れば動く」 について書きます。
動かない状態にも色々あります。
例えば、
動かなければならないのに動けない。
動きたいのに動けない。
動きたくないから動かないetc
ここでは、
動きたいけど何をしたらよいか分からないから、結果的に動いていない場合を考えます。
つまり、動くためのエネルギーと意志はあるけど、その目標が定まらない場合です。
このような状態の場合、欠如を見つければ(自認)動きます。
それは、お腹がすいた→何か食べたい→食べるものを探す、と同じです。
お腹がすいた(欠如)を自認するから 、その欠如を埋めたいとの欲望を持ち、その結果動くという行動へと繋がります。
食欲と同じように考えると、人は欠如を自認すれば、必ず何らかの行動を起こす(行動しないことも含む)ことでしょう。
ここから、欠如を作れば動くというのです。 
大切なことは、動いていない状態をしっかり見極めることです。
見極めを間違わなければ対応の仕方もはっきり見えてきます。
そのために精神分析は有効だと考えます。
シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/
Twitterでは気づいたことをつぶやいています。 https://twitter.com/rakuhomanami