2014年8月3日日曜日

391)素直に生きる

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。
今日は、「素直に生きる」について書きたいと思います。
この文章に主語と目的語を加えるとしたらどんな文章にしますか。
ここでは『私は私の気持ちに素直に生きる』を考えてみます。
実際にあった会話を紹介します。
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1)子ども「今日は学校へ行かない」
母「どうして?」
子ども「だって行きたくないから」 
この会話の続きを考えてみましょう。
どんな文章が浮かぶでしょうか。
その文章はあなた自身が言われてきた文章ではありませんか。
数年後の会話も紹介します。
2)子ども「そのうち電話が来るから」
母「え、どこから?」
子ども「〇〇会社から」
母「どういうこと?」
子ども「さっき面接を受けてきたから」
3)子ども「東京へ行くから」
母「え、いつ決めたの?」
子ども「今さっき」
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この子どもがどのように成長していったか、その母がどのように対応したかは想像できることでしょう。
子どもは、その時の自分の気持ちに素直に表現し、行動しました。
そしてその母も、想像できるであろう世間の風評を一切遮断し、子どもの素直な気持ちを受け容れ続けました。
その結果、多少の時間はかかりましたが、その子どもは自らの意志で決定し、社会の中に参入しました。
もちろん、今も自分の気持ちに素直にしつつ生きているそうです。
多くの子どもは親からの一方的な欲望を押し付けられ、自分の素直な気持ちを無視、あるいは排除されているのを知りました。
その環境の中で生きざるを得ない子どもは、自分の未来をどのように描くでしょうか。
人は自分が受けた辛苦の想いは、いつか必ずその相手に同じ想いを味わわせたいと願うことでしょう。
それを『復讐』と呼びます。
一方、自分が受けた喜びは、いつかお返ししたいと切望するでしょう。
これを『感謝』あるいは『恩に報いる』といいます。
どちらもいつか与えた人に返ってくるのです。
その悲しい最近の一例が佐世保の同級生殺害事件ではないでしょうか。

自分の気持ちに素直に生きられたらどんなに楽だろう。でもそんなことできない。そんなこと親が、社会が許してくれない。
そのように考えていませんか。
できないのではなく、やろうとしないのでは?
「できます」
あえてこう言いたいと思います。
自分の人生の主役は自分です。
いうまでもなく知っているでしょう。
知っていることと、やることは別のこと。
知っているなら、したいと思うならやりましょう。
「いつやるか?今でしょ!」
この言葉が流行語大賞(正確には今でしょ!)を獲得しました。
まず実行しましょう。
そこから新たな世界が動き始めるのではないでしょうか。 
ここで紹介した子どもの例はHPでも紹介しています。
「思春期の悩み-引きこもり・暴力・摂食障害・リストカット」http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/

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