2013年12月16日月曜日

359)認めたくない自分―抑圧

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。
 今日は、「認めたくない自分ー抑圧」 ついて考えてみます。
フロイトは、無意識の中には意識から妨害されている何らかの力があると考え、そこから「抑圧」という概念を考えました。
ある人の話を通してこの「抑圧」について考えてみたいと思います。あるAさんが語りました。
不思議なんですが、『米倉涼子』の名前がどうしても出てこなくて、代わりに『広末涼子』の名前が出てくるんです。
も一つあります。『富永』という名前の友達を思い出す時、なぜか『南方』と言ってしまうんです。

これを、フロイトの言う「言い間違い、度忘れ(錯誤行為)」という観点から考えてみるとどうなるでしょう。
『米倉涼子』と『広末涼子』は「涼子」つながりで『米倉』を抑圧していると考えられます。
『富永』と『南方』はひらがなにしてみます。
すると、「とみなが」と「みなかた」で「みな」が共通し、「か」と「が」が似ています。
このように考えてみると、Aさんが抑圧している言語が浮かび上がってきます。
それは「米」「倉」「富」「永」
これらを合わせて考えてみると『豊』という文字が透けて見えるようです。
つまり、Aさんは「貧しい自分」と感じている状況があri

「そんな自分を認めたくない、受け入れたくないと感じていることが予測されます。
そして、確かにAさんが語った時期には、このように感じられる状況の中に居て、それを認めたくない無意識の働き(認めれば惨めな自分)があったようです。

このAさんの例のように、フロイトは、日常生活の中の何気ない言い間違いや度忘れなどの錯誤行為の中に「無意識」が現れ出ていることを発見しました。
これらの錯誤行為によって、「抑圧」された何らかの無意識
が意識の隙間から顔を出していると考えたのです。
このような錯誤行為は、誰の日常生活の中にも多々見られるものです。
しかし、誰にでもあることだと気にも留めないのが通常でしょう。
でももし、自分の無意識に興味を持ったなら、これら錯誤行為に意識を向けてみることも一つの方法でしょう。

無意識の中には自らが認めたくない、知りたくないという何らかの力「抑圧」が働いていると考えたフロイトの解釈はとても興味深いのではないでしょうか。

ちなみに、Aさんはこのことに気づいた後、状況はすぐには改善しないながらも、心豊かに生きたいと決めたそうです。

自分を知りたい、無意識と言われるものに興味を持たれた方は共に学びませんか。
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