2013年1月6日日曜日

319)「クソババア」と言える子ども

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、書き換えて(言語化して)います。
そうすれば、不安は安心に変わることでしょう。
           
今日は、「クソババア」という子どもについて書きたいと思います
子育ての基本は母子関係にあると言われます。
これは、子どもは養育する人(以下母と呼ぶ)の心のままに育つといういうことを意味します。
つまり、母が子どもの心の鏡の役割をするということ(鏡像関係)です。
例えば、
母が「将来有名なサッカー選手になって欲しい」と願って懸命になれば、
子どもは母が描く姿になって母を喜ばせようと努力するでしょう。
「有名なピアニストになって、自分の果たせなかった夢を果たして欲しい」と願うなら、
子どもは必死になって練習することでしょう。
このような鏡像関係の積み重ねが、
自主性自発性を培い、自己愛を高め、信頼を学ぶことにも繋がります。
(過剰な期待と押しつけは逆効果です)
ところが、いつかその母の想いと衝突する時がきます。
それが「反抗期」と呼ばれる時期です。
つまり、反抗期は「母の期待に動かされてきたことに気づき、それに抵抗して自己主張する時期」だといえるでしょう。
『僕(私)は母の道具や操り人形ではない。』と気付く時です。
この観点から、
反抗期があること=自主性と自発性を持とうとしている
と考えられます。
逆に、反抗期が無かった場合は、自主性と自発性が学習されていない可能性があります。

このような自主性と自発性の現れの表現の一つが「クソババア」なのです。
母に「クソババア」と言っても大丈夫だ。
愛の対象である母に、面と向かって「クソババア」と言っても、母は見捨てない。
このように確信できるからこそ、言える言葉だと考えられます。
「クソババア」と言ったら、見捨てられるかもしれないとの不安がある子どもは、
決して言いません。
逆に、母の顔色を伺い、母の機嫌をとることでしょう。
これがよく言われる「良い子」です。

つまり、「クソババア」と平気で言える子は、
クソババアという「悪い子」が増えても、まだまだたくさんの「良い子」がいると思える、ということです。
それくらいで自分というイメージが決して壊れないと思えるということでしょう。
そして、それくらいで大好きな母のイメージが壊れないと思えるということでもあるでしょう。
これらのことから、子どもが母に対して「クソババア」と言う時、
子どもの心の中に、母と子どもの良いイメージが培われている(内在化)と考えます。
以上の観点から、
子育て教室では、次のように語っています。
≪子どもから「クソババア」と言われたら、母として一人前です≫と。
(決して、子どもに「クソババア」ということを推奨しているわけではないことはご理解いただけると思います。)

このように、子どもが成長してゆく過程で、
必ず「母を踏み台」にして飛び立つ時期が来るのです。
そのためにも、決して壊れない踏み応えられる土台が必要とされます。
その意味で、母は踏まれても踏まれても決して沈み込まない基盤でありたいものです。
そのような母を、「賢明な母」と呼びたいと思います。
≪賢明な母であるとはどういうことか≫
≪何を知っていなければならないのか≫
これらを知ってこそ、子育てに活用し、即実践できます。

子どもの成長は待ったなしです。
今気付いて始めなければ、それだけ遅れてしまいます。
気付いた時がスタートの時です。
大きくなっていても大丈夫です。
気付いたその時から「育て直し」をすればよいのです。
間に合います。

興味を持たれた方はシニフィアン研究所のHPをどうぞhttp://signifiant-lab.com/
勉強会、養成講座もあります。http://signifiant-lab.com/#10 http://signifiant-lab.com/#11

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