2012年7月5日木曜日

237)夢中か酩酊か

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。

精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
今日は「夢中か酩酊か」について考えてみます。

この二つは、どちらも母の胎内の再現ではないかと思うのです。
夢中と酩酊については、232)橋下市長「大阪独自の脱法ハーブ規制始める」 でも書きましたが

言い換えると

夢中=ある一つのこと以外には意識が向かない⇒我を忘れる

酩酊=ほとんど全てに意識が向かない⇒我を忘れる

となるでしょう。

このように考えてみると

どちらも、共通の言語「我を忘れる」があります。

そして

「我を忘れる」=言語を忘れる=言語がない状態

このように考えられないでしょうか?

言語がない状態というと、その究極は「胎児」

胎児は言うまでもなく、母の胎内に居る状態です。

ゆえに

夢中も酩酊も共に、胎児と同じ状態だと言える

つまり、母の胎内の再現だと考えられます。


誰もが、母から産まれます。

すべての人の故郷(楽園のはず)です。

でも、その場所は永遠に戻ることのできない場所でもあります。

だからこそ、

ストレスや悩み、苦しみなどで心が疲れた時

人は、故郷(楽園)のしばし戻りたいと思うのではないでしょうか?


この視点から考えると

「夢中」も「酩酊」も母の胎内の再現だと言えるのではないでしょうか?

そうすると、事の是非は別にして

「酩酊」する人の心が見えてくるのではないでしょうか?

それに気付いたら、「酩酊」を他の方法に換えることも可能となるでしょう。

子どもが何かに夢中になっていたら
それは、お母さんの胎内に戻りたいと思っているのかもしれません。
できるだけ、邪魔をせずに見守ってあげてはどうでしょうか?
きっと、楽しんでいる瞬間だと思うのです。

ストレスを感じたとき、

あなたはどのような方法を使うことが多いですか?

なぜその方法を使うのか、考えたことがありますか?


シニフィアン研究所では、気付くことも可能です。

興味をもたれた方、ご意見のある方はHPを参照ください。http://signifiant-lab.com/

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